『香り花房・かおりはなふさ』では、日本の香りと室礼文化を研究しています。

香り花房 ー『香りと室礼』文化研究所 ー
香りの情景

薔薇の香り

 “薔薇いわく われを守るもの そは棘にあらずして 匂い”
 このポール・クローデルの詩にあるように、咲き誇る薔薇の香りは瞬く間に人々をとりこにしてしまう魅力にあふれています。
 18世紀のフランスで、華麗に生き「薔薇のような女性」とたとえられたある貴婦人の人生とは、はたしてどのようなものだったのでしょうか・・・。

貴婦人のポプリ


 曲線や渦巻き模様に代表される「ロココ様式」とは、じつに軽快で装飾的なデザインとして伝えられます。
 18世紀のフランスの社交界の人々は、華やかなサロンで洗練された会話を楽しみ、趣味の良い服を身につけ、物事にこだわらず優雅に生きることを尊びました。
 細い猫脚のテーブル・絹に豪華な刺繍をほどこしたソファー・繊細なレースの胸飾りや美しい宝飾品など、ベルサイユ宮殿に代表される貴婦人の生活は、他に類を見ないほど華麗に彩られていたのです。
 そんな時代を代表し“ロココの女王”といわれた一人の女性がいます。

 

ポンパドゥール公爵夫人

 彼女は、21歳のときに当時のフランス王・ルイ15世と巡り合い、その寵愛を受けることとなりました。
 小さいころから大変に美しく才知にも富んだ彼女は、ベルサイユ宮殿の人々の注目と賛美を得て“ロココの女王”といわれるまでになるのです。
 洗練されたセンスと装飾美術への確かな審美眼をそなえた彼女は、当時のファッションリーダーとして数々の流行を生み出しましたが、それだけでなく積極的に学者や芸術家の援助をおこない、フランス文化の繁栄をも促しました。
 ただ美しいだけの愛人でなく、ハンサムで浮気者のルイ15世の心を捉え続けた彼女とは、果たしてどのような人生を送った方なのでしょうか?
 ここで、簡単にその人生を振り返ってみましょう。

1721年 裕福なブルジョア階級の父と社交好きな母との間に生まれます。後にある占い師により王の愛妾になることを予言されます。
1741年 19歳の時、パリの富裕な貴族の青年と結婚、デティオール夫人となります。
1744年 長男が生まれるも6ヶ月で病死した後、長女アレクサンドリーヌを出産します。
1745年 セナールの森で狩をしていたルイ15世に見初められ、正式な愛妾としてベルサイユ宮殿へ迎えられることとなります。
1754年 愛娘アレクサンドリーヌ10歳で急病のため死亡。
知らせを受けた彼女は大きな衝撃を受け、立ち直れないほどに嘆き悲しみます。
1756年 セーブル窯を築き、磁器の製造をフランスにもたらします。その功績に対し彼女の愛したバラ色の赤に“ローズ・ポンパドゥール”という名が与えられました。
1764年 肺炎を悪化させてしまい以前より病弱だった彼女は、43歳という若さで亡くなります。
当時、王族以外の者がベルサイユ宮殿内で亡くなる事は許されていませんでしたが、ルイ15世の特別の恩赦が下され、彼女は病床について2ヶ月の後に宮殿内で息を引き取ります。

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