幸せの香りをあなたに

椿に魅せられた人々

安達瞳子さんと『百椿図』

「花芸安達流家元 安達瞳子さん」 平成18年3月、椿をこよなく愛した花道家“安達瞳子”さんが、息をひきとられました。
 凛とした着物姿の美しいたたずまいと意志の強さをあらわす黒く大きな瞳は、多くの人々の印象に残っていることでしょう。
 世田谷の自宅に植えられた1万5千本もの椿の木が象徴するように、この花と彼女との深い関わりは「安達式挿花家元」だったお父様とある本との出会いによって始まります・・・。

 戦後間もない昭和22年、通りすがりの銀座の骨董店に飾られてあった絵巻物に目を奪われた瞳子さんの父親は、迷わず店主に詰め寄りすでに外国の方の手付きが入っていたこの巻物を手に入れます。

「百椿図絵巻」江戸時代・根津美術館蔵

 じつはこれこそ江戸時代に松平忠国が企画編成して描かせ、長く所在不明とされていた『百椿図(ひゃくちんず)絵巻』の古写本だったのです。
 巻物を紐解くと、中から太鼓や扇子などのあしらいとともに描かれた数々の椿の花があらわれ雅で華麗な美しさをはなっているのでした。

 徳川家康が江戸幕府を構えたとき、その祝いの品として気品ある“白玉椿”が献上されました。
 “八千代の栄え”“長寿”というこの椿につけられた花言葉に、徳川家の繁栄の願いが込められていたのでしょう。
 白玉椿は、その“白玉”という名前にあるように、まん丸で可愛らしい蕾をつける早咲きの品種で、茶の湯の正月に当たる11月の“開炉”にふさわしい花として飾られることが多く現在も大変に愛されています。
 室町時代より武家の間で流行していった茶の湯は、花を活ける文化に「投げ入れ」という新しいスタイルを生み出しましたが、千利休により確立されつつある侘茶の美意識にふさわしい茶花として、枯淡な椿は好まれるようになっていきました。

「白玉椿」

 寺や公家・大名の庭園に様々な植物が植えられるなか、庭木としての椿はさらに人気を誇り、豊臣秀吉の築城した伏見城には、じつのたくさんの椿が植えられ「椿の城」とよばれるようになります。
 とくに二代将軍・徳川秀忠の椿好きは有名で、日本各地の大名に椿を献上させ江戸城内の花畠に椿の大庭園を築くのでした。
 こうして椿の愛好は文化人のステイサスとなり、名花や珍花の収集のほか交配に情熱を注いで生まれた園芸種が次々に誕生していきます。
 この椿ブームは、やがて寛永の平和な時代を反映して庶民にまで浸透し、多彩なる江戸椿文化が花開くことになるのでした。


 そうした熱狂の中、徳川家康の甥で丹波篠山の城主だった松平忠国は、狩野派の絵師・山楽に様々な椿の画を描くことを依頼します。
 やがて仕上がってきた椿図は、じつに繊細で美しく忠国をおおいに満足させるものでした。
 そこで彼は、この椿の絵に当時の名だたる名士による和歌・俳諧・漢詩を添えることを思いつきます。
 総勢49名の文化人によって添えられた52首もの画賛は、椿2図または3図を一つとした構成でしあげられ、13枚継ぎ全2巻の「百椿図絵巻」として完成します。
 近年この原本とされる絵巻物が、さる旧家から根津美術館に寄贈されていたことが判明し、平成15年3月・日本橋の三越で初めて全巻公開される運びとなりました。
 『椿物語展』と銘打ったこの展覧会は、椿をこよなく愛し椿に育てられたと語る安達瞳子さんの長年の想いを綴る物語として構成され、彼女の椿を用いた「花芸」の作品と共に華やかに公開されました。

安達瞳子先生のこと

「つらつら椿」 椿の花を思うとき、私の心にいつも浮かび上がるのは、安達瞳子先生の面 影でした。
 先生にお会いできたのは、平成12年帝国ホテルでの授賞式でした。
 世界文化社主催の家庭画報大賞に応募した私は、幸運にも帝国ホテル賞に入選し、その表彰式で審査員のひとりになられていた安達先生にお会いできたのです。
 いつものように清楚な白い着物と帯の装い、そして涼しげな水色の帯締め姿の先生は、静かな微笑みの中にも太古から受け継がれてきたかのような日本女性のシンの強さを秘めてたたずんでおられました。

 授賞式後のパーティで、お写真のお願いを気持ち受け「あなたの作品好きですよ」と声をかけてくださったことが何よりも嬉しい思い出です。

「安達先生と感激の記念撮影」 安達流の後継者として育てられたものの父親との確執から家出、さらに絶縁されるという激しい生き方をされた先生は、平成18年3月10日 椿の花がポトリと散るように70歳の生涯を閉じられたのです。
 真紅の花びらに黄色の蕊を抱いた藪椿の妖艶な美しさと、大地に根をはり巨木に成長するたくましさを先生の面影にかさね、懸命に生きられた安達瞳子先生のご冥福を心より祈り致します・・・。

「家庭画報大賞」記念写真

 原種といわれる日本の椿は【藪椿】と【雪椿】の2種ですが、戦後盛んになった外国への輸出により、各国で競うように椿の改良交配が進むことになります。
 そしてその東洋的エキゾチックな美しさに魅了された世界の人々によって、数千種とまでいわれる美しい椿が誕生することになるのでした。

 室町から江戸時代にかけて権力を誇った大名や茶人らを魅了した椿には、紅や白の複雑に絡み合う花の美しさだけではなく、魅惑的ともいえる何かが秘められていたのでしょう。
 次に、銘木といわれ樹齢を重ねる京椿を尋ねながら、その裏側に潜む人間の物語をみてみることにしましょう。

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