雪月花
ブログメニュー

ブログ更新 その84「古典植物文様の貝合わせ」

2018年3月12日

 

DSC_1848

 

 

 

 

 

 

 

 

幼いころの記憶のひとつに、

砂浜にてんてんと散らばる貝殻を

ひろいあつめた思い出があるかもしれません。

 

それぞれの貝のかたちや色合いには

不思議なおもむきがあり、

未知の世界へと誘うものでした。
平安時代、

宮廷貴族のあいだで流行したあそびのひとつに

「ものあわせ」というものがあります。

 

絵合わせ、花合わせ、扇あわせそして紅葉あわせなど

題材はさまざまに、

持ち寄ったものにちなんだ和歌をそえて

その優劣を競うというものでした。

 

貝合わせも、

当初は和歌とともに貝の大きさや美しさ種類の豊富さ

などを競いましたが、

しだいに対となるハマグリを探すあそびへと発展していきます。

 

お姫様の婚礼調度品には、

夫婦の幸せを願って

豪華な装飾がほどこされた一対の貝桶が用意されました。

 

DSC_1847 桜の香り花びらと金彩貝合わせ

 

 

『貝合わせ』の遊び方

DSC_1910

最初に二枚貝をはずし地貝出し貝に分けておきます。

(二枚貝の頂を上にして合わせ、耳の短い方を自分の方に向けて両手に持ちます。

その時、右手にある貝は出し貝、左手にある貝を地貝といいます。

12個並べハマグリ貝、サスケさんも貝遊びに参加です。)

地貝を12個(天文学より12カ月に由来)をグルッと丸く並べ、

その外側には19個(7曜日を加えた数)を並べ、

さらに3周目4周目と計360個(1年の日数)の地貝を9列に並べます。

次に出し貝を一つ取り出して中央に置き、

その貝の形や大きさ・模様を見比べて対となる地貝を探し出します。

双方の貝を合わせピタッと合わさりましたら絵柄を公開し、

開いて伏せ自分の膝前におさめその数を競います。

このようにして対となる貝殻を探し当てるお遊びが貝合わせで

正式には「貝覆い(かいおおい」)と呼ばれましたが後に総称されます。

ちょうど女性の手の平におさまり

絵柄も描きやすいハマグリは、

伊勢二見産のものが最良とされました。

「伊勢桑名の焼蛤」という名言が残っているよううに

三重県伊勢の蛤はたいへん上質で将軍家にも献上されていました。

三年物で4~5㎝、七年物で6センチほどに成長するといわれる蛤ですが

七年物10粒で8000円という高級食材である蛤はたいへん高価なので

最近では中国産のものも出回っていますが、

貝合わせに用いる蛤はやはり国産のものが最良といわれています。

『潮干のつと』(喜多川歌麿、1790年)に出てくる貝合わせ図

 

 

 

貝合わせの絵柄には、

源氏物語や伊勢物語などの場面を描いたものや

美しい風景、植物、和歌など様々なものがあり、

貝の内側に和紙を貼り胡粉で下塗りをした上に

金箔や極彩色で仕上げられました。

 

今回は趣深い古典植物の花々の図柄を写しとり、

金彩をほどこされたハマグリに装飾していきましょう。

 

DSC_1907

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自作の植物画シールです。

 

(材料)

金彩ハマグリ     二対

古典植物文様シール  2種類を各二枚

脱脂液・ニス

その他、小回りの効く小ハサミ・カッター・キッチンペーパー等

(作り方)

①金彩ハマグリの内側の油分を取りのぞいておきましょう。

脱脂液をつけたキッチンペーパーできれいにふきとります。

②植物文様を丁寧に切り抜きます。

模様の1ミリ外側のラインをカット、ハサミが届かない部分はカッターで切り取ります。

③貝の内側に当てレイアウトを決めます。

シールの紙をはがし手の油がつかないよう端から空気を押し出すように貼っていきます。

④シールをしっかり密着させ、はみ出した部分を切り取ります。(貝の丸みの内側ライン)

⑤最後にニスで仕上げ、完全に乾かしましたら完成です。

 

DSC_1908

 

 

 

 

 

 

 

今回は「朝顔」と「しゃくなげ」の2点を作製しました。

江戸時代の古典植物画には

何ともいえないレトロな雰囲気が漂います。

 

 

 

 

2018年03月13日 up date

ブログ更新 その83「桜物語3 ~舞い散る桜の香り花びら~」

DSC_1769 

2018年2月

舞い散る桜の香り花びら

日本の春の訪れは、

人々に季節の移り変わりを最も印象深く感じさせる時といえるでしょう。

窓辺を照らす光の明るさ、

柔らかい新芽をのぞかせる樹々の梢、

地面に寄り添うように花開く早春花、

何もかもが冬の眠りから目覚め静かにうごき初めます。

そんな春の喜びを桜の花びらに託して飾りましょう。

白い粘土に桜の香りを練りこんで

可憐な香り花びらをつくります。

白い桜も気品あふれ素敵ですが、

赤を少し加えると優しい桜色なるでしょう。

西行法師の愛した吉野の舞い散る桜のように、

ヒラヒラと塗り盆やたたらの器などに飾りましょう。

また和紙に包んでプレゼントしたりお手紙に忍ばせても素敵ですね。

桜の樹の下に立つとつつまれる、

桜独特の“クマリン”のなんとも優しく穏やかな香りが漂います。

DSC_1828

材料    石粉粘土        適宜

      桜のオイル       1滴

      染料(赤)      お好みで1~2滴

      その他 アクリル板の桜型・ワックスペーパー・麺棒・型切りなど

 

作り方

①香りのついた桜の花びらを作るには、最初にお好みの桜の花びら型をアクリル板で切り抜いておきます。

②粘土を少し取り桜のオイルを練り込みましょう。

③さらに染料を直接垂らして粘土の内側に練りこむようにして色付けし、

ほどよい混ざり具合でストップしてください。

④麺棒で薄くのばし桜型を当てて切りとします。

⑤丁寧にはがして手に取り、

花ビラの芯の部分を摘みさらに全体を優しくよじるようにひねって形を整え乾燥させましょう。

 

※作業はワックスペーパーのうえで行うと、はがす時に綺麗にはがせ作業がしやすいでしょう。

花ビラに少しひねりを加えておくと優美な感じに仕上がります。

また、粘土は薄く成型するほどに繊細な花びらになりますので、ぜひとも挑戦してみてください。

 

可愛らしいピンクの桜・大人っぽい白い桜・妖艶な薄墨桜、あなたはどの様な桜がお好きでしょうか・・・。

 

 

 

 

桜のお酒

 

DSC_1854

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜茶に使われる桜の塩漬けを用いて、

春の日の祝い酒をつくりましょう。

枝先の桜が風に吹かれユラユラとなびくかのような花びら酒、

口に含むとほんのりと香りたち

心まで桜色に染めてくれかのようですね。

 

 

 

 

桜ゼリー・桜ジンジャエールなども美味ですが、

私のおすすめはシンプルなお湯割りです。

 

まだまだ寒い季節、熱いお湯を注いだ香り高い桜酒で、

やさしく身体を温めてください。

 

2018年02月09日 up date

ブログ更新 その82「桜物語2 ~松尾芭蕉~」

後世にいたり

“松尾芭蕉”を漂白の旅へといざなったのも

西行法師のそうした生涯でした。

 

俳句の師にあまんじている己に危惧感をつのらせた松尾芭蕉は、

自らの内面を尊敬する西行のような高みにまで引き上げることを祈願し

1684年、大和から吉野・尾張へと旅立ちます。

 

秋の日、吉野山へとたどりついた芭蕉の脳裏には、

花の姿は見えずとも香りほのかに柔らかく

そして静かに咲きほこる桜の花が浮かび上がってきたことでしょう。

 

西行の草庵を見詰め

残光のように漂う偉人の気配を感じながら、

生涯を旅と歌に捧げた西行に対する憧憬をつのらせたのかもしれません。

 

松尾芭蕉像(葛飾北斎画)

 

 

この旅で「野ざらし紀行」を記した芭蕉は

その後、西行没後500年を機に

1689年、東北から北陸をめぐる巡礼の旅へ旅立ちます。

人生50年といわれた江戸時代、

40代後半を迎え病気がちだったにもかかわらず

住まいであった芭蕉庵を売り払っていどんだ俳諧の旅は、

じつに多くの名句を生み出し「奥の細道」として編纂されました。

 

「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の後」岩手県平泉

「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」山形県立石寺

「五月雨(さみだれ)を あつめて早し 最上川」山形県大石田町

『荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)」新潟県出雲崎

『奥の細道』より

 

Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715).jpg

「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良森川許六作)

 

その後も旅への執着衰えることはなく挑み続けた芭蕉でしたが、

次第に病に伏すことが多くなり

 

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

 

の句を最後に1694年静かに息を引きとるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

2018年02月09日 up date

ブログ更新 その81「桜物語1 ~西行桜~」

2018年2月

 

奈良県吉野山

4月初旬から末にかけ下千本から奥千本へと山桜が開花してゆく

 

 

春の日を淡くいろどる桜の花は、

見るものの心をなごませ

この国に生まれた幸せを感じさせてくれる存在といえるでしょう。

 

日本の野山には、もともと野生種である山桜が自生していました。

 

桜の名所といわれる奈良県吉野山には、

平安時代の歌人“西行法師”がむすんだ小さな庵があります。

 

吉野山はその昔、

“役小角(えんのおづぬ)”が桜の樹に蔵王権現をきざんだことにより、

桜がご神木としてあがめられるようになりました。

その後、修験道の聖地となった吉野には桜の苗木をたずさえて参詣する人が多くなり、

現在のような麗しい景色へと移り変わっていったのです。

 

役行者像(五流尊瀧院)

 

役小角(えんのおづぬ) 飛鳥時代の呪術者・山伏の元祖

修験道(山岳修行)の開祖とされ鬼神を操る霊力をもつと伝わる

 

 

平安時代末の乱世に生まれ、

生きることに無常観をつのらせていった西行法師は

23歳の若さで出家の道を選びます。

そしてどの宗派にも属さず、

山里の庵にひとり住み孤独の中で心の安らぎを求めるのでした。

 

吉野山最奥にある金峰神社近くの小さな西行庵

 

春になると山々を優しく染める山桜は

西行にとってただ美しいだけのものではありませんでした。

咲き誇りそしてハラハラと散りゆくその姿に、

みずからの心情を託しじつに多くの歌を詠んだのです。

 

「花に染む 心のいかで のこりけむ 

                 捨て果ててきと 思ふわが身に」

“現世での執着を捨て去ったと思うわが身なのに

なぜこれほどまでに桜の花に心を奪われるのでしょうか”

 

「ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば

                 散る別れこそ 悲しかりけれ」

“ずっと眺めていたからでしょうか。情がうつってしまったようです。

散りゆく桜の姿が悲しくてなりません”

 

決まり事にとらわれず

自分の弱さや戸惑う心を素直に詠んだ西行法師の和歌のかたちは、

俗語を用いてもなお気品をそこなわず独特の抒情感を生みだし

当時の歌壇中心人物らに大きな影響をあたえることになります。

 

鞍馬、高野山、伊勢など心のおもむくまま諸国を巡った西行は、

1190年2月16日73歳でこの世を去りましたが、

終焉の地もやはり修験道の開祖といわれる役小角が開いた大阪河内の弘川寺でした。

 

空海そして行基も修行したといわれるこの寺の裏山にむすんだ小さな庵で、病に伏し亡くなるのです。

 

~和歌を一首詠むのは、仏像を一体彫るのと同義~

 

と語ったことからわかるように、

歌作りは仏道修行の一環でもあったのでしょう。

 

また、西行は没する数十年前にこのような和歌を残していました。

 

「願はくは 花に下にて 春死なん

                 そのきさらぎの 望月のころ」

“願いが叶うものならば満開の桜の下で死にたいものです。

お釈迦様が入滅されたという如月の望月の頃に(2月15日)”

 

その願いどおり2月16日の桜の盛りに終焉を迎えたことで、

西行の生きざまは人々にさらなる感動を与えることになります。

誰にも邪魔されず心ゆくまでながめた桜の姿は、

人生の様々な場面と重なって見えたことでしょう。

これより桜は植物という枠を超え、

日本人の死生観にまで入りこむ特別な存在となっていくのです。

 

 

 

2018年02月09日 up date
↑このページの一番上へ