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ブログ更新 その93 虎ノ門・大橋茶寮「如庵」の朝茶事 

大橋茶寮「如庵」朝茶事

 

2019年7月14日 この日は前日より降り始めた雨の一日となりました。

 

東京虎ノ門にひっそりとたたずむ「大橋茶寮」は、

裏千家十四代淡々斎が、戦後東京の稽古場としていたところで、

茶道に縁のあるものにとっては憧れてやまない場所といえるでしょう。

 

朝8時過ぎ、雨に濡れた土壁の門をくぐります。

寄付きの床には、風にしなる竹に

 

「七夕や この短冊を かの君に」

 

の和歌を添えた田山方南の軸が掛けられており、

初夏にふさわしい今日の趣向に胸がふくらみます。

 

本日のお連れとなる客人は五名様、

のどかにご挨拶を交わしていると汲み出しの香煎が運ばれてきました。

 

揃い待合の腰掛へ移動すると、ご亭主の出迎えが。

無言で一礼の後、蹲踞で身を清め本席「山吹の間」へ席入りします。

 

ここ大橋茶寮は、昭和22年、名工木村清兵衛により建造された本格的数寄屋建築で、

樹々に囲まれた敷地内には数々の茶室があり、

その佇まいは時の流れとともに成熟し市中の山居の様相を生みだしているのです。

 

これだけの茶文化に通じた建物を維持管理することは並大抵のことではなく、

戦後の苦難の時期を淡々斎宗匠と守貧庵亭主である大橋宗乃(おおはしそうの)さんが

共に力を合わせ守り抜いてこられました。

 

虎ノ門・六本木地区の大規模な再開発計画により取り壊しの危機に見舞われた時も

見事に尽力され、国の登録有形文化財として保存されることになったのです。

 

茶の湯を愛し生涯を茶をもって生きることを誓い大橋茶寮を運営してきた大橋宗乃さんは、

2019年 90歳を迎えられました。

 

お目にかかれることを本当に楽しみにしていましたが、

初座にて炭手前をなさるそのお姿は、

スースースーと流れるようなリズム感をもって進み

 

果たしてこれは現実なのか夢を見ているのか、

と思わずにいられないほど不思議な感覚におちいります。

 

床の掛物は、大徳寺百九十世 天室宗竺(てんしつそうじく)による江戸前期の墨蹟 「喝」。

ひざ前に扇子を置いて一礼し拝見すると、ピンと心に気合がはいります。

 

続く懐石の数々は、旬の素材を生かしたお料理が貴重な器とともに出され

一品一品が実に完成された優しい美味しさ。

 

大橋先生の場を和ませる温かい会話とともに,

楽しい時が過ぎていきました。

 

本ぶりとなった雨だれが茶室を包み込むように響きわたると、

まるで自然のおおいなる力に抱かれているかのように感じます。

 

障子越しには、濡れた緑や苔がキラキラと色鮮やかに輝いているのでした。

 

銀製の菊丸盆に盛られた主菓子をいただきましたら、中立です。

腰掛待合に戻り身を改めましょう。

 

身づくろいをすませると、程なく合図となる銅鑼の音が響いてまいりました。

身をかがめ静かにその音に耳を傾けます。

 

木造平屋建,切妻造,桟瓦葺の三畳半敷きの後座の茶室は、

愛知県犬山の国宝「如庵」を模して造られたもの。

 

路地草履で躙り口から入り着座すると、

サワサワという音とともに屋外の簾が巻き上げられ、席中に明かりが射し込みます。

 

床の花は、松平不昧公所持の竹釣舟花入れに清らかな白槿と糸芒。

畳床には鉄製手燭台に和ろうそくが灯されていました。

 

濃茶茶碗は、松平家伝来の平高麗

お濃茶は、大橋宗乃さんゆかりの「葵の昔」です。

 

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お薄のお干菓子、京都・亀屋伊織製「瀧せんべいと青楓」。ちょうど「淡交タイムズ」の表紙に掲載されていましたのでご覧ください。

 

和やかな雰囲気の中でお濃茶とお薄をいただき、朝茶事が終了しました。

 

少し小降りになった雨の中、

お誘い下さった友人とゆっくり歩きながら大橋茶寮を後にします。

 

 

6月そして7月と参加したこれら二つの会は、

私にとってじつに尊いひと時でありました。

 

川瀬敏郎先生そして大橋宗乃先生、

伝説になるであろうこのお二方との時間は、会話せずとも実に多くのことを学ばせてくれるのです。

 

そして何かを超越した人から放たれる美しさは、

その裏側に真を貫く強靭ともいえる強さが秘められていることを

改めて思うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年8月8日 up date
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