雪月花
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その11 「一休さんの墨跡」

2013年10月30日

昨日の雨もあがり、秋らしい爽やかな晴天となりました。

今日は、白金にある「畠山記念館」でのお茶会です。

 

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坂をあがり瀟洒な記念館の門をくぐると

まるで結界を超えたかのように

しっとりとした空気の流れる別世界がひろがります。

当地の美術館は、株式会社”荏原製作所”の創業者であった

畠山一清氏が収集した茶道具をおもに展示しており、

その苑内には趣ある茶室が点在しています。

尊敬する花人・川瀬敏郎先生の花会も、こちらの茶室で定期的に開催されました。

今から思うと、それはどんなに貴重な時間だったことでしょう。

茶室という日本独特の精神が宿った空間で、

先生の花にはじめて触れ,

私は大きな衝撃をうけました。

茶道の世界では、床の間に飾られた花に対して

一礼のうえ拝見するのが習わしとなっています.

世界中に花を愛する人々はたくさんいますが

花に対して頭を下げる民族は日本をおいてないでしょう。

日本人は古代より、田に実る稲を神聖視し、そびえる樹木そして野辺に咲く花々にも

神の姿を見いだしてきたのです。

山河多く、海に囲まれ、豊かな四季に彩られる日本の大地ですが、

その反面、地震や台風の被害にも悩まされ

失いそして再生を繰り返す営みに

自然と対峙する姿勢がつちかわれてきたのも納得できることでしょう。

日本人にとつて生きることは自然と生を共にすることであり

自然は多大なる恩恵とともに深い悲しみをも授ける

人知の及ばない領域として畏怖されてきたのです。

川瀬先生の花に接すると、

意識とはまた別の領域に刻み込まれている

日本人のそうした精神が呼び起こされるのかもしれません・・・。

さまざまな茶人が茶会を開催するにおいて、

もっとも苦心なさるのが茶花だといわれます。

なぜならば、趣向を凝らした道具合わせや懐石などの準備は事前にできますが、

床に飾る花だけは自然の生き物ゆえ間際まで整えることができません。

それゆえ、その一花に茶人としての力量が全て表されてしまうともいえるでしょう。

川瀬先生のことをご存知ない人も多いかもしれませんね。

今日は詳しくはお話しませんが、

すべての花を活ける方々と一線をかす存在であられることを覚えておいてください。

また、折につけ先生のお話をさせていただきたいと思います。

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今回の茶会では、濃茶席の寄付きとしていた「明月軒」の床の間に

一休宗純和尚の墨跡が飾られていました。

「 応無所住 而生其心 」

「 おうむしょじょう  にしょうごしん 」

 

この言葉は、なにを表しているのでしょう?

書のことは詳しく知りませんので少し調べてみましょう。

これは禅宗のお経「金剛経」にある一節で解釈には諸説あるようですが、

 

心をとらわれないこと・・・

起こったできごとを流れるままにうけとめ、執着しないこと

目の前のことをそのままに素直に受けとり、心に停滞させないようにするが良い

 

という意味になるようです。

 

何かにつけ肩に力がはいってしまう私には、ハッとさせられる一句でした。

障子の柔らかい光につつまれた室内にはいり

薄暗い床の間へとすすんで一礼し、そのお軸を見上げると

のびのびと勢いのある

そしてどこか人をなごませるかのような優しさを含んだ

一休和尚様の書が現れました。

かすれゆく墨色が時代を感じさせ、判らないながらもしばし見詰めていると

確かに生きておられたそのお方がフワッと立っておられるような気がして

なんともいえない嬉しさがこみ上げてくるのでした。

 

写真でなく映像でなく、

本物と直に触れることの大切さは、こうゆうことなのですね。

 

おりしも当日は私の誕生日にあたりました。

このお軸にであえたことを意味あることととらえましょう。

生きていく上で起こる様々なできごとに執着せず

自分に授けられた人生

謙虚にそして、たくましく

成長できる頂きを目指していきたいと

あらためて思った一日となりました・・・。

 

 

 

 

 

2013年11月1日 up date
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