『香り花房・かおりはなふさ』では、日本の香りと室礼文化を研究しています。

香り花房 ー『香りと室礼』文化研究所 ー
恋しい匂い
第三夜 「尽くせぬ思い・菊」
靖国神社正門(毎日新聞社) 現在、皇室の御紋章とされている菊紋は、鎌倉時代・後鳥羽上皇が菊花を好まれたことにより、天皇家に取り入れられていきました。
 もともと菊は、奈良時代に中国からもたらされた植物で、当初は延命長寿の薬として伝わりましたが、次第にその花の高貴な香りと美しさから、宮廷貴族の庭で栽培されるようになっていきます。
 秋の日の陰暦九月九日『重陽の節句』を彩る“菊の花”の清涼な香りを感じとり、菊に宿るといわれる霊力の秘密を探ってみることにしましょう。

上田秋成『雨月物語』にみる“菊花の約(ちぎり)”

 江戸時代後期、大阪の遊郭・曽根崎新地に私生児として生まれた上田秋声 は、身体の弱い子供で、次第に神秘や幻想の世界に傾倒していきました。 文学を愛していた彼は、やがて日本や中国の古典物語に出会ったことで創 作した怪奇短編小説9編を『雨月物語』にまとめます。
 今回は、その中にある有名な「菊花の約(ちぎり)」の物語を通して、菊に秘められた精神を読み取ってみることにしましょう。

物語・・・

 旅の途上、病に伏し生死をさまよっていた赤穴宗右衛門(あかなそうえもん)は、土地の貧しく実直な学者・丈部左門(はせべさもん)の手厚い介護を受けます。
 やがて快復していく中で二人は意気投合し、“義兄弟の約”を結ぶまでに親交を深めるのでした。
 桜の花びらもいつのまにか散り、初夏となったころ、宗右衛門はこの恩に報いるため必ず「菊の節句」に戻ることを約束して、故郷の出雲へと旅立ちます。

 月日は流れ、やがて約束の九月九日「重陽の節句」。
 左門は、自ら菊花を飾り酒席の用意を整えて、宗右衛門の帰りを待ちわびるのでした。
 しかしながら、なかなか彼は現れません。
 待ちくたびれ、戸口に出て月夜を眺めるうち、ぼんやりとした黒い人影が浮かびます。目を凝らしてみれば、そこに宗右衛門が立っているではありませんか。
 躍り上がらんばかりに喜んだ左門は、彼を家中に招き入れます。
 しかしながら、それは約束を果たすため、魂として現れた宗右衛門の姿だったのです。

 出雲に帰った彼は、お城に軟禁されてしまい、菊の節句に帰るという約束を果たすことが出来ない状況でした。
 そこで「人は一日に千里を行くことはできないが、霊魂は一瞬にして千里を行くことができる」という言い伝えから、自らを刃に伏し、死を呈して左門の元へとたどり着いたのでした。
 こうして宗右衛門は、命をかけて義兄弟の“菊花の約”を果たしたのです。


 菊の花に宿る崇高な精神は、武士の高潔な魂と仁義を尽くす男同士の生き様に通じるものがあるのでしょうか。
 この物語は、究極のホモセクシャルともいえる、男ならではの“美学の象徴”として語り継がれています。
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