『香り花房・かおりはなふさ』では、日本の香りと室礼文化を研究しています。

香り花房 ー『香りと室礼』文化研究所 ー
香りの情景

菊の香り

杉田久女の菊枕

杉田 久女 大正から昭和の初期に活躍した女流歌人だった彼女は、高浜虚子に師事し「ホトトギス」の同人のひとりでした。
 大変に美しく頭の良い久女は、俳句の世界に高い理想を持ち、女流歌人をリードするように才能を開花させていきます。
 が、人並みはずれたその情熱は人々を圧倒させ、身勝手とも捉えかねない行動となってしまうのでした。度重なるそうした行いの結果、次第にうとまれ孤立してしまいます。
 追い詰められた彼女の心は、沈むばかりか、ますます激しさを増し、尊敬する師である高浜虚子へとむけられるのでした。
 しかしそれは、悲しいまでに一途な手紙を毎日のように送り続けるなどの病的なものとなり、ついには破門されてしまうのでした。
 激しいショックと失意のうちに久女の精神は混乱を極め、ついに精神病院での暮らしを余儀なくされてしまいます。
 そして、1946年 復活の機会も無いまま、56歳という若さで心の通うことのなかった夫に看取られ亡くなるのでした。

 十七文字の句作の世界に没頭し、その性格から数々の誤解を受けてしまった杉田久女。まだまだ封建的な風潮の根強い時代に生きてしまった不幸が、彼女の苦しみを増長させてしまったのかもしれません。
 彼女の俳句の中には、じつに細やかな女性を感じさせるのもが多々あります。
 その中に、長寿の願いを込めて高浜虚子に贈った菊枕をつくる様子を表現した十句が残されています。




 自分で育てた菊畑の花を摘み取り、嬉々として楽しそうに部屋中に広げ乾かす久女の様子が目に浮かびます。
 菊の花は大変に乾きにくく、いつまでもその色は褪せなかったことでしょう。

  “酒はよく 百のうれいを祓い 菊はよく くずるる齢を制す”

 中国の歌人・陶淵明の詩の一節から、尊敬する師の長寿を願い送られた白絹の菊枕。
 生きていく術を身につけていなかった彼女にとり、俳句の世界はのめりこむほどに遠ざかる悲しいものであったのかもしれません・・・。

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