雪月花
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その42 「花を飾るということ 2 ”飛鳥奈良時代・散華”」

2015年4月10日

 

~花を飾るということ~  飛鳥奈良時代・散華(さんげ

 

538年、百済より日本へ仏教の教えが伝来しました。

この出来事により

自然の中に見出されてきた人々の信仰の対象が

眼に見えるものとして具現化されていくことになります。   法隆寺金堂・釈迦三尊像(飛鳥時代)

 

553年「日本書紀」に、日本最古の仏像制作の記録が残されています。

さらに607年には法隆寺が創建され、

752年には東大寺の大仏開眼供養が執り行われました。

それまで日本では、

身近に咲き乱れる植物を切り取り飾るという習慣があまりありませんでしたが、

こうして寺院に安置された神々しい仏像を前に

美しい花をたむけると”いう行為が定着していきます。

 

 

一花を以て一仏に散ぜば 花に因よりて尽く 弥陀を見ることを得ん 

 

と、仏典に説かれているように、

様々な儀式において献花がおこなわれるようになりました。

 

散華(さんげ)」というならわしも

“お釈迦様がお生まれになったとき

インドの神々が喜んで空から花を降らせた

という故事に基づいておこなわれます。

 

散華は

奈良の東大寺や唐招提寺、薬師寺などの重要な法会のおりには欠かせない習いで

普通は紙製の花であることが多いのですが、

椿の寺として有名な京都東山の法然院では、

本尊である阿弥陀如来坐像の前に

季節にあわせた菊・椿・つつじ・紫陽花・槿などの生花が散華されます。

 

放射状に捧げられた美しい花々は、

臨終の際に西方浄土より迎えに来るという二十五菩薩をあらわしており、

一年一日も休まずにおこなわれています。

 

哲学の道から脇にすこし登ったところにあるこのお寺は、

文豪谷崎潤一郎氏のお墓もありますのでぜひ立ち寄ってみて下さい。

樹齢三百年の椿の花が地に落ちるのを惜しむ心から始まった、

といわれる散華の様子を見ることができるでしょう。

 

 

 

 

2015年04月10日 up date

その41 「花を飾るということ 1  “古代・祈り”」

2015年 4月10日

 

 ~花を飾るという事~    古代・祈り

 

日々の暮らしの大きな節目となるお正月、

日本人はこの日を一年の初めとし

様々な「室礼」をほどこしてきました。

 

祝い花としての ~花を飾る~ という行為もそのひとつでしょう。

年月を木肌に刻み大地にシカと根をすえた常磐木の松、

わずか三日でその身を天へと伸ばす竹、

リンとした寒気のなか清らかな香りとともに蕾をほころばせる梅の花、

そして難を転ずるいわれの南天や早春花・水仙など・・・。

 

新年にふさわしい植物を選んで飾られるこの行為には、

日本人が育ててきた神そして

自然に対する精神的な思いが投影されています。

 

今回は、祖先の花に対する扱いの歴史をとおして

   ものいわぬ花の静かな語り事     に耳をかたむけてみましょう。

 

 

 

古代 ~祈り~

 

依代(よりしろ)・・・神霊が天より降臨し宿るもの           伊勢神宮の苔むした巨岩

 

 

豊かな自然は、私たちに大きな恵みをもたらしてくれます。

が、時として激しく荒れ狂い、

恐ろしい厄災を引き起こすことも少なくありません。

故に古代の人々が何か事あるたびにその力の偉大さを感じ、

そこに神の姿を見出したのも理解できることでしょう。

 

本来、とはその姿をもたず又、

ひと所に定着するものではないと考えられてきました。

天より降臨した神霊は、

様々な物体である依代を媒体として宿るのです。

 

熊野・那智の大滝

鎮座する巨岩、うっそうとした山、樹齢を重ねた樹木など、

人々は霊気の感じられるその場所で祈りを捧げ

神に対する畏怖の念をあらわすのでした。

 

 

 

 

 

奈良の三輪山

 

「  三輪山を しかも隠すか 雲だにも

          情(こころ)あらなも 隠さふべしや  

                         「万葉集」額田王

 

都が飛鳥から近江へと遷ることになり、

この地で生を受けた額田王(ぬかたのおおきみ)にとって

何かにつけ手を合わせ心のよりどころとしていた

三輪山とのお別れは悲しいものでした。

 

“だのに雲はいじわるをするかのように

三輪山に覆いかぶさってしまいます。

どうぞ心があるならば、あの御山を隠さないでおくれ・・・“

 

と、歌に託して語りかけるのでした。

 

 

奈良の三輪山

 

 

 

 

 

 

 

「古事記」や「日本書紀」にも登場する奈良県桜井市の“三輪山”は、

古代より神聖な神の住む山としてあがめられてきました。

草一本、石ころひとつ取ってはいけないとされる山中には、

神の依代である「磐座(いわくら)」が祀られ、

多数の勾玉や神器が発見されています。

 

 

奈良県よりJR桜井線に乗り「天理駅」を過ぎると、

大和盆地の静かな景色の中、

大きな鳥居の先にたたずむ穏やかな円錐形の神山“三輪山”が見えてきます。

その先の「三輪駅」で下車し徒歩で5分もすると、

三輪山を御神体とする『大神神社(おおみわじんじゃ)』に到着します。

 

じつは、日本最古の神社といわれるこの大神神社には本殿がありません。

鳥居をくぐって参道を抜けた先にある拝殿の奥には、

木々に覆われた三輪山が鎮座しており、

その御山にむかって手を合わせるという

原初の神祭りの形式を今に伝える神社なのです。

 

仏教の教えもまだ渡来しておらず、

大地の営みと共に生活していた古代の日本人にとって

神とは森羅万象そのものでした。

 

神の魂は自然の中に宿るとされ、

生命力あふれる常磐木から

風化し死のイメージのつきまとう曝れ木(しゃれぼく)にまで、

その霊気を感じとっていたのです。

 

 

 

2015年04月10日 up date
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