雪月花
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その37 「羊が一匹・・・冬の日の安眠ハーブ」

2014年 11月28日

 

都心の銀杏も色づきはじめ、

朝晩と冷え込む時節となりました。

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日暮れも早くなり

何もかもが

静かに落ち着きを取り戻していく

これからの季節には

心も身体もゆったりと休めたいものですね

 

 

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今回は、幸せな眠りのために

心地よく香るフレグランスピローをつくりましょう。

まぶたの上に乗せて

羊さんが一匹、羊さんが二匹・・・・・

魔法の呪文を唱えると

深い眠りの世界へと導かれていくことでしょう

 

左の長いものはダブルガーゼ羊さんプリントでつくった

のせるだけアイピロー」です。

中にはフラックスシード(亜麻の実)に

清らかな香りのラベンダー

暖かい芳香のオールスパイス

さらにサマーセーボリーマジョラムなど

メディカルな効能のハーブをミックスしました。

 

フラックスシードの心地よい重さが

眼のツボを優しく刺激し筋肉をほぐしてくれることでしょう。

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また、お揃いの布地を用いて

今流行りの小豆カイロを作りましょう。

体を温めることは体調を整える基本

電子レンジに30秒ほどかけ

肩やおへその下など気になる部分に乗せてください。

小豆に含まれる水分が

患部をジワーと蒸気で温め、身体の深部までとどきます。

小さいながらも大活躍の小豆カイロ。

どうぞ、愛らしいハートのミニパット

癒されてください

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2014年11月28日 up date

その36 「美しき文様 2 ”国宝・天寿国曼荼羅繍帳”」

2014年 11月 3日

 

美しき文様

 

それでは次に、

果たして色彩や文様はどの段階で加えられるのでしょうか。

その方法は大きく別けて3種類に分類されています。  

 

 

一、「先染め」・・・あらかじめ染めた色糸をもちいて織る方法

二、「後染め」・・・織り上げた布に色や模様をつける方法

三、「加飾方法」・・・美しさを更に際立たせるために施すこと

 

三番目の「加飾方法」には、

刺繍・アップリケ・描絵(絵を描く)・摺箔(金箔を貼る)

などの方法があります。

 

グラフィックス4

 

 国宝「天寿国曼荼羅繍帳奈良県・中宮寺

(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)

 

奈良の中宮寺には、

飛鳥時代(622年)に制作された”繍仏(しゅうぶつ)”

が保存されています。

繍仏とは、

刺繍仏像や仏教的主題を表し荘厳するもので、

その起源はインドにあり日本に伝わりました。

 

日本最古といわれる「天寿国曼荼羅繍帳」は、

聖徳太子のが太子の死を悼み、

せめて太子のおられる天寿国(西方にあるという極楽浄土の国)

のありさまを見たいという願いから、

宮中の采女らの手によって刺繍されたものなのです。

 

制作当時は、縦2メートル横4メートルの帳(とばり)を

二枚横につなげ寺の柱に幕のように張ったと伝えられますが、

現在残るのはその断片のみでつなぎ合わせ額装されています。

 

本歌は当時を知る貴重な遺物

として国宝に指定され奈良国立博物館に寄託されていますが、

レプリカが中宮寺に飾られていますので

ぜひご覧下さい。

レプリカとはいえ一針一針縫い目を拾って描かれたその精緻な刺繍を見ると、

太子を亡くされた妃の悲しい思いが伝わり

心が揺さぶられることでしょう。

 

私は今まで世界の人々の祈りの場である

神社・仏教寺院・聖教会・イスラムモスクなどを訪れてきました。

建物の中に足を踏み入れると

不思議とがたかまりるのを感じます。

そしてそこで祈る人々を眺めることで

一瞬にして彼ら異国の人々の生きてきた背景に触れる事になるのです。

 

メキシコの教会では、このようなことがありました。

壁面に飾られたマリア像に手を合わせ

ボロボロと涙を流しながら大きな声で訴え、叫ぶ男性がいるのです。

あまりの光景に

私はつい立ち止まり凝視してしまいましたが

不思議なことに周りにいる人びとは誰も彼に注目せず

彼もまた、祈りが終わると何事もなかったかのように

立ち去っていったのです。

 

国が違えば宗教が違い、生きる環境が違い、そして考え方も違います。

でも、祈るという行為に生まれる美しさ尊さは変わらないのです。

この世で一番清らかなのは人々の祈る姿

ではないかなといつも感じています。

天寿国曼荼羅繍帳」は、后の祈りとともに制作されたもの

ゆえにその思いが伝わり時を経てもなを

言い知れぬ感慨をひとびとへ与えるのでしょう。

 

 

最後に、

このようにシルクロードを経てもたらされた

色鮮やかで美しい品々は、

生涯訪れることのない遥か遠い異国へのれをふくらませるものでした。

飛鳥奈良時代の貴族は、

民族も宗教も全く違う人々の手で生み出された

これら大陸の雄大な染織文化を積極的にとりいれました。

そしてそれを引き継ぐ平安貴族たちによって、

日本人の好みにあった優しい色合いの

上品で優雅和風文様が生み出されていったのです。

 

 

日本を代表する染織史家であり

正倉院裂復元などを精力的におこなっている

吉岡幸雄さんの言葉から、

千二百年前の染織物がどれほどに素晴らしいものかをお伝えしておきましょう。

 

・・・正倉院の染織を頂点に、技術は手抜きの歴史なのです・・・」

 

人類は進み成長を続けていると思ってはいけません。

古代の人々が道具も機械も不十分ななか作り上げたものを

私たちは再現することができないのです。

文明の発達とともになくしてしまった

視覚・聴覚・触覚・そして臭覚などの鋭く純粋な機能

どれほどまでに、素晴らしいものだったのでしょうか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年11月18日 up date

その35 「美しき文様1 ”日本最古の絹”」

2014年 11月 1日

 

今年も奈良で「正倉院展」が、開催される運びとなりました。

繊細で美しい宝物の数々は1200年のときを経てもなを、

揺るがない力を放散し私たちを魅了するのです。

今回は、二点の正倉院裂を見ながら

日本の染色文化を少し覗いてみることにしましょう。

 

 

美しき文様

 

今から千二百年前に日本へともたらされた様々な布地には、

見たこともない鳥や獣

そして抽象化された華麗な植物などが描かれており、

その躍動感あふれる美しさに

天平の貴族たちの心は激しく揺さぶられるのでした。

 

飛鳥奈良時代以前の日本には、

無地や縞また幾何学的文様を施した

簡素な印象の布しかなかったと考えられています。

高度な技術と多くの手間を要する染織品は、

工業化によって手軽に鮮やかな布地を手にできる

現代人には考えられないほどに

大変貴重なものだったのです。

 

グラフィックス1

 

「紺地花樹双鳥文夾纈施几褥」正倉院裂

(こんじかじゅそうちょうもん きょうけちあしぎぬのきじゅく)

 

聖なる樹の下に

動物や鳥などが描かれた文様を” 樹下双獣文 ”といい、

そのデザインはササン朝ペルシャ(現イラン)から

シルクロードを経て日本へと伝えられました。

イランでは、歴史を通じて争いが絶えず

また、砂漠という厳しい気候風土のため劣化がひどく

当時の遺物は皆無といって良いでしょう。

故に校倉造りの建物に勅封という制度の元

保存されてきた正倉院の御物の貴重性が際だつと言えるでしょう。

 

褥(じゅく)”とは敷物のことで、

この布は供物台など卓上に敷かれたものと思われます。

蓮のような花座の上に向き合う相対の水鳥

中央には満開に咲き誇る花を抱いた樹が描かれ、

その様子は天空にある楽園をあらわしているといわれます。

 

色彩も見事に 赤・黄・緑・紺・白 と染め分けられたこの几褥は、

夾纈(きょうけち)”という

布を二つまたは四つ折りにし

板に挟んで一色ずつ染めていく大変難しい技法で染められていますが、

この染色法は一説に、

玄宗皇帝に使えていた女官の妹の発明と伝えられます。

 

 

グラフィックス2

 

紅臈纈施等雑貼」正倉院裂

(べにろうけち あしぎぬとうざっちょう)

 

円状にデザインされた葡萄唐草

中央には翼を大きく広げ片足を上げて

今にも飛び上がらんとする鳳凰、

そして葡萄の房飾りのついた四角い花文

これらが交互に配され美しいが印象的なこの裂は、

衣服に用いられていたものでしょう。

 

月日の経過とともに

縫い目からホツレ裂かれそしてバラバラとなったこの布は

現在は断裂として

他の裂地とともに雑帳に貼られ保存されています。

 

格調高い鳳凰文様

溶かした臈を塗った版型を

布に捺し防染してから染色する

臈纈(ろうけち)”という奈良時代盛んに行われた技法で染められています。

 

 

日本の染織物

 

日本の染織物文化はいつごろ始まったのでしょうか?

古代日本では布作りに先立ち、

植物の茎や樹皮をからげて細く長い丈夫な縄を作ったり

交互に編んだ籠などが作られました。

 

5500年前縄文遺跡(青森・三内丸山遺跡)

から見つかった小さな編籠は、

中から半分に割れたクルミの殻が発見されたことにより

縄文ポシェット”として注目をあびます。

たぶん籠の左右にヒモをつけ肩や首から吊り下げ使用したのでしょう。

素材は当初、畳の材料となるイグサ製と思われていましたが、

研究の結果ヒノキの樹皮をヒモ状にして編んだものと判明しました。

 

10センチ高さ16センチという小振りな大きさから、

縄文時代の幼い少女が身に付け、

籠いっぱいに栗やクルミ・栃の実などを拾い集めて

家族の元へと届けたのかもしれませんね。

湿地帯のゴミ捨て場らしき場所から発見されたこの籠は、

空気にいっさい触れずに埋もれ続けた

という奇跡によって、

5千年後の私たちの眼の前に姿を現すことになったのです。

 

グラフィックス3

 

縄文ポシェット」三内丸山遺跡

 

 

また、現在日本最古といわれている織物は、

2000年前の弥生時代前期・有田遺跡(福岡)から見つかりました。

 

染織物の保存はきわめて難しく

歴史をたどることは不可能と言われていますので、

弥生以前にも織物は存在していたことでしょう。

 

この発見された織物は、

たいへん小さな断片で、

柄の長いカマのような形をした”銅戈(どうか)”という

相手を引き倒す武器の刃の部分に付着している状態で発掘されました。

布は絹製で、

経糸と緯糸を交互に織りあげる「平織り

という基本的な技法で織られたものでした。

 

織物とは、

まず植物の茎や幹の繊維・蚕のマユなどから

糸をとりだす作業から始まります。

細い糸は、より合わされることで長く丈夫な糸となり、

これを機にかけ経糸・緯糸で織り上げることで

一枚の布となり、

さらに裁断・縫い合わすことで用途にそった様々な姿へと変化していくのです。

 

身体を保護する衣服や足を守る靴

寒さをしのぐための掛け物

さらに儀式を飾る敷物や幡(ばん)などの装飾品やりの衣装、

また貴重な玉や鏡など大切な品を納める袋、

など丹精込めて織られた布地を用いて

様々なものが作られていったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

2014年11月18日 up date
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