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その53「日本の香り事始め 1 ~供える~」

2015年11月

  

   『日本の香り事始め』   供える

                     くゆらす

                      飾る

                      清める

                      身に纏う

 

 

 

 

『日本の香り事始め』 ~その壱「供える」~

 

日本は古来より

中国や朝鮮などアジア諸国の文化を取り入れてきましたが、

その中でもとくに大きな影響を受けたのが

仏教の伝来”でしょう。

そして、このできごとが

日本に“香りの文化”を根付かせることにつながっていきます。

 

香木が生育しない日本において

生まれてはじめて嗅ぐ沈香や白檀の香りは、

なんとも神秘的で経験したことのない陶酔感へと誘うものでした

 

 

~   仏教の伝来と香  ~

 

まだ日本という国名はなく

「倭の国」と呼ばれていた時代、

海を渡ってきた異国からの使者が、

飛鳥の地の天皇のもとへと訪れます。

 

「・・・欽明天皇7年(538年)

百済の聖明王の使いで訪れた使者が

天皇に

金堂の釈迦如来像一体と経典数巻・仏具などを献上した・・・」

 

果たしてこの瞬間より、

日本という国に

仏教という教えが根付いていくことになるのでした。

 

仏教の生まれた国 “インド”は

大変に暑さが厳しい国として知られていますが、

住まいを清潔に保ち自身の体臭を消すために

殺菌作用のある香料を用いる風習がありました。

 

もともと多くの芳香植物に恵まれた土地柄もあり、

紀元前6世紀頃にお生まれになった

お釈迦様の時代以前から

香の使用は欠かせないものとなっていったのでしょう。

 

故に日本への仏教の伝来は、

インドで培われてきた香料の伝来でもあり

日本人は今まで触れたことのなかった香りの世界を体験することになったのです。

 

 

~  香木の漂着と聖徳太子  ~

 

日本最古の歴史書「日本書紀」や

聖徳太子の生涯をまとめた「聖徳太子伝暦」には、

このようなお話が記されています。

 

 

「・・・推古天皇3年(595年)春、

土佐の沖合いに毎夜、雷鳴とともに大きな光が現れました。

それから30日を過ぎた頃、

淡路島の岸辺に2メートル以上もの大木が漂着するのでした。

島民がそれを薪としてかまどにくべたところ、

なんともいえず高貴な香りが立ち上り

驚き朝廷へと献上します。

この不思議な大木をご覧になった聖徳太子は、

すぐさま“これこそ沈水香というものなり”と

大いに喜び、

この香木で仏像を刻み吉野の寺に安置するのですが、

それはときおり光を放ったとわれます・・・」

 

この記述は、

日本に香木が伝来したことを伝える最初の記録といわれています。

そもそも“香木”を産するのは

主に東南アジアの熱帯雨林地域の国々で、

日本では生育することができないものでした。

 

香木の原木は

ジンチョウゲ科の常緑喬木で、

傷つくなどの何らかの要因によってある部分に菌が寄生、

さらにその部分を修復するかのように樹脂が分泌・沈着し

時間の経過とともに熟成が進んだ結果、

大変に貴重な香木となるのです。

 

香木は分泌された樹脂の重みによって比重がかさむため、

その昔よく木が枯れて倒れ水中に沈んだ状態で発見されました。

そのために “沈む香木”、“沈水香”、”沈香“と

呼ばれるようになっていったのです。

 

淡路島に漂着した香木は、

嵐に合って難破した

南方船の積荷のひとつだったかもしれません。

仏教の伝来と共に

儀式に用いる香の知識を得ていた聖徳太子は

この漂着を神が与えた瑞兆ととらえ、

その後さらに日本での仏教の普及に力を注いでいくのでした。

 

それでは仏教の世界でどの様に香りが用いられているか

「十種供養」と呼ばれる供養の方法からみていくことにしましょう。   

 

十種供養   

  華 ・ 香 ・ 瓔珞(ようらく) ・ 抹香 

  塗香(ずこう) ・ 焼香 ・ 幡蓋(ばんがい)

  衣服 ・ 伎楽(ぎがく) ・ 合掌

 

以上が法華経の十種供養の項目ですが、

そのうちなんと4つに香りがかかわっています。 

 

仏教でいう供養とは、

私たちが良く知っている焼香などのように

仏前に香をたむけることのほか、

花などの美しい供え物をすること、

お寺に瓔珞(ようらく・仏の身を飾る装身具)や

幡蓋(ばんがい・仏堂を飾る装飾)を奉納すること、

また伎楽など舞踊劇を捧げることも供養のひとつとして数えられました。

 

仏教は信仰だけでなく

建築から彫刻・工芸そして音楽や舞踊など、

当時最先端だったあらゆる芸術と関わっていたのです。

 

なかでも仏前に良い香りを漂わせることは

非常に大切なことで、

香りは心を鎮め神仏との特別な交流の場をつくりだすものでした。

香料のもつ抗菌作用や昂進鎮静作用によって、

仏前は清らかになり

儀式は厳かな雰囲気へと変化していったのでしょう。

私たちは、現在亡くなられた人を慰問するとき

“香典”としてお金を包んで行きますが、

古代インドでは死者の弔いに使用する

“香”そのものを参列者が持参していくというのが本来の習わしでした。

仏陀が荼毘にふされる際には

じつに大量の白檀が用いられたと伝えられますが、

現在でも火葬のおりには香木が焚かれます。

豊かな者は薪として

貧しいものは少量の白檀片が投じられ、

死者の魂は神々が喜ぶ香りと共に

ガンジス川の流れにのって来世へとむかうのでしょう。

 

仏前では、

焼香や線香などが故人に対してたむけられますが、

材料となる白檀には

非常に高い殺菌力があり毒を消す力が秘められているのです。

 

 

~  香染めの袈裟  ~

 

最後に僧侶が身につける袈裟のお話をしましょう。

もともと袈裟とは、

香料で染めた香染め“の香衣が本来の形でした。

 

古くは木蘭(もくらん)という

香る樹の皮で染めていましたが、

次第に丁子を煮出して染めたものを香染めというようになります。

香染めは鈍い黄褐色で

僧侶の袈裟として紫についで位の高いものでした。

京都の知恩院では、

12月の“お身拭い式”の行事で

“香染めの羽二重”の布を用い

御尊像である法然上人の像を拭い清めるのです。

 

 

※このように仏教の世界は

香りに彩られているといっても過言ではないでしょう。

奈良に都があった飛鳥時代は、

こうした新しい教えや香りの文化が

日本に根をおろしたといえる時代だったのです。

 

 

 

 

 

 

2015年11月18日 up date

その52「ご挨拶・宮沢敏子」

 

201511月 皆様へのご挨拶

 

 

忙しく通り過ぎる日々の暮らしの中、

香り花房(かおりはなふさ)』では

1992年より“香りのある暮らしを提案し

教室を開催してきました。

 

自然の植物がその身に具えた芳香には、

人々の暮らしを豊かにする

優しさと効能があふれているのです。

 

自然の素材を集めて作る季節のポプリ

キッチンや寝室など

様々な生活のシーンで活躍するフレグランス

眼にも楽しい香る装飾飾りなど

オリジナルなデザインにこだわった

手作りの世界をお伝えしています。

 

やがて年月を重ねるうち、

視線は自分が生まれ育った日本へと向けられていきました。

山河豊かに四季美しい日本人の暮らしは、

常に自然とともにあったといえるでしょう。

 

 

巡りくる季節に思いをよせて、

先人たちが積み上げてきた伝統を大切に

日本人の暮らしに沿った香りそして

室礼のあり方を提案できたらと思うようになっていったのです。 

 

ゆっくりとしたテンポですが

創作を積み重ねてきた結果、

2011年には『日本の香り物語』八坂書房という本を出版、

そして今もなお

当初の思いは尽きることがなく

これからも研究心と深い愛情をもって関わっていきたいと思っています。

 

そして何よりも

皆様の生活をより豊かにする お手伝いができますことを

心より願っております。

 

 

 

 

香り文化研究所

「香り花房・かおりはなふさ」 主宰 宮沢敏子  

 

 

 

 

 

    

2015年11月17日 up date
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