雪月花
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ブログ更新その70「平成29年 新春のご挨拶」

2017年1月8日

 

松の内も過ぎ

清らかに香りを放つ梅便りも聞かれるようになりました。

 

皆様のおかれましては

穏やかな新春をお過ごしのこととお喜び申し上げます。

 

今年も日本の香りの楽しみ方と

伝統をふまえた四季の室礼飾りのご提案をさせていただきといと思っております。

 

忙しく過ぎてゆく日々の暮らしが

少しでも豊かに感じられますように・・・。

 

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先生のお宅で催された初釜での愛らしい和菓子。

おみくじの入っている中国のホーチュンクッキーのように

小さな言葉の綴られた紙がはいっています。

私のところには「いそくべからず」と・・・。

何とも納得できるお言葉としてストンと心におさまりました。

 

 

 

実は年末に人生初のインフルエンザにかかりまして

身体をウイルスに支配されてしまいました。

熱がグングンと上がりフラフラとなりましたが、

処方されたタミフルの効果は絶大で

急降下するように程なく平熱へと戻ることができました。

 

しかしながら身体のどこかに逃げ延びたウイルスが潜んでおり

思うように動くことができません。

 

クリスマスの予定も年末の行事もすべてキャンセルとなり

寂しいかぎりの年の瀬を過ごすことになってしまいました。

 

そうこうしているうちに平成二十九年の年が明け、

大丈夫かなと出かけた那須の温泉にユックリつかるうち

ようやく自分の身体を取り戻した次第です。

 

 

 

でも病も悪いことばかりではなかったようで

三八度の高熱とともに

こびりついていた悪いものもすべて死滅したのでしょうか?

 

 

身体もそして心もとっても軽いのです。

 

なかなか答えを出せなかった問題を違う角度から眺められるようになり

思いがけない答えがフッと浮かんで

何故か納得できるようになりました。

 

 

意外と問題を大きくしているのは

自分の内部にある固執なのかもしれませんね。

 

 

さあ、今年も生まれ変わった新たな気持ちで頑張りましょう。

 

自分の思いひとつで

扉は開かれてゆくものかもしれません。

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平成二十九年一月  「香り花房」宮沢より

2017年01月17日 up date

その69「聖夜の祭壇・IHS蒔絵中次」

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2016年12月7日

 

今年も12月となりクリスマスの季節となりました。

街のイルミネーションもはじまりキラキラと綺麗ですね。

 

我が家も少しだけクリスマス。

イコンを飾り祭壇を設えてみました。

 

 

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水晶を溶かして成形されたキャンドル立てには

友人から頂いたフランス土産の」のロザリオを

 

手前にあるのは「IHS蒔絵中次」です。

 

「IHS」とは、キリスト教カトリック修道会イエスズ会のこと。

 

イエズス会の宣教師であったフランシスコ・ザビエルは

1549年日本へと趣きキリスト教に布教に心血を注ぎました。

異国の地での布教はどんなにか大変だったことでしょう。

そこで彼らは、

日本の工芸品である美しい蒔絵工芸をもちいた様々な祭具を設え布教に挑んだのです。

 

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蓋表には、標章であるIHSの文字の上に螺鈿で十字架が

その下には磔刑にされたキリストの三本の釘が象徴的に」はめ込まれ

文字を囲むように配置された太陽のような光の光線は、

茨の冠をあらわしているといわれます。

 

 

私の器は本歌を小ぶりにして、

茶道の抹茶を入れる棗(なつめ)に仕上げたものです。

いつの日かクリスマス茶会など催すことができたら素敵ですね。

 

 

縁切り寺として有名な鎌倉の東慶寺にその本歌があります。

もともとはミサに用いる聖餅(オスチャ)をいれるための容器で

黒漆の上に標章を囲む印象的なデザインの螺鈿がはめ込まれ、

側面には金銀の葡萄唐草が描かれています。

 

私のものは茶道具を扱う「やました」さんでもとめたもので

小ぶりにして抹茶を入れるお棗(なつめ)に仕立ててあります。

 

 

 

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ベネチアガラスのツリーに

昔からズーと使っているイルミネーションを灯して

 

我が家の少しだけ聖夜です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年12月07日 up date

その65「広島平和記念公園」

2016年5月27日

 

現職の米国大統領として初めて被爆地・広島を訪れたオバマ大統領。

映像に映し出されるこの歴史的瞬間をみていると

かつて訪れた日々が思い出されます。

 

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2年前の2014年8月、

私は出雲から松江そして広島へと旅をしました。

今まで仕事に明け暮れていたオットに

私がかつて訪れた日本の美しい景観を

ぜひ見てほしいと計画した初めての旅でした。

 

 

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最初に訪れたのは、島根県出雲大社。

 

三重の伊勢神宮で感じた

背筋が伸びるかのようなキリっとした空気とは異なり

いつ訪れても何とも温かい気持ちに包まれる神社です。

 

60年に一度の本殿遷宮を済ませたばかりの出雲大社は

多くの人々でにぎわいを見せていました。

 

この数年来、

遷宮にまつわる行事に参加するために何度も訪れていた事もあり

良く来ましたね

と、迎えられているかのような心地よさに包まれます。

神聖なる空間に身を置くだけで幸せを感じるのはどうしてでしょう。

 

良きご縁を授けてくださった神様に

ようやくお礼をお伝えすることができました。

 

 

 

 

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次に、

米国の「ジャーナル・オブ・ ジャパニーズ・ガーデニング」に

13年連続日本一の庭園に選ばれた足立美術館へむかいます。

白砂の敷き詰められたその庭園は

後方の山々の景色も意識して端正に造作されており

ため息が出るほどに美しく

いつまで眺めていてもあきることがありません。

 

また、コレクションである横山大観のひとつひとつの絵には

感情を内へと封じ込める日本人の奥ゆかしい美意識があふれており

見るものを惹きつけます。

 

 

 

 

 

暮れて翌日、

今日は美しい城下町松江へと向かいましょう。

 

 

 

天守 (国宝) 松江城の国宝天守閣

 

キーコキーコと船頭さんの漕ぐ

松江城の堀川巡りは

目線も低く水と一体となるかのような

舟遊びの心地よさを感じさせてくれます。

 

松江のお殿様は、有名な茶人でもあった松平不昧公(ふまいこう)。

 

江戸中期、千利休の登場もあり茶の湯は隆盛を極めました。

鎌倉期より盛んに輸入された裂地は

大切な茶道具を包む袋として姿を変えていきます。

 

 『古今名物類聚(こきんめいぶつるいじょう)』とは、

不眛公によって編まれた十八冊編纂の茶道具書ですが

そのうちの2冊が「名物切の部」で、

実物の百五十種あまりの美しい裂を丁寧に貼った

“裂手鑑(きれてかがみ)”

として超一級の価値を誇っています。

 

金箔を織り込んだ金襴や緞子

縞や段、格子文様の間道

錦・印金・インド発祥の染色裂更紗

そしてビロードやモールなど

 

これら一級品の布地は、茶道具の仕覆や

お軸の表装などに使われたのです。

 

財政を湯水のように使って収集し

松江藩を困窮にさせた殿様ですが、

 

その優れた審美眼によって

どれほど日本の織物染色技術また意匠の発展が促されたことでしょう。

 

また、お茶好きのお殿様のおかげで

松江城下には多くの和菓子店があり

銘菓巡りも楽しみのひとつとなっています。

 

 

 

 

そして最後に、

私たちは広島を訪れたのです。

 

小雨模様の安芸の宮島・厳島神社は、

 

厳島神社4

 

 

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以前訪れた時とは異なり

静かにどこか寂しげにそこに佇んでおりました。

 

無事に参拝を終え市内のホテルへと戻ります。

 

当初、旅の予定はここまでとしていましたが

昨晩食事したお店で出会った広島の若者たちの楽しげな笑い声と

昨日とはうって変わった青空に

広島市内へと出かけることにします。

 

世界で初めて核爆弾が落とされた街として有名な広島は、

私にとってハードルの高い場所であり

行かなければという思いとは裏腹に

脚を運ぶことのできない地だったのです。

 

路面電車に揺られ辿り着いた広島平和記念公園は、

樹々の緑美しく、広い空間に風の流れるのが心地よい場所でした。

 

見渡すと幾度となく映像で見た建物がそこにあります。

平和の鐘、原爆供養塔

そして円形の鉄枠をさらす原爆ドーム。

広い公園を囲むように流れる川面は

キラキラと夏の日差しを受け輝いていました。

 

しかし式典が行われる原爆死者慰霊碑の広場を歩いていると

 

急に胸が締め付けられ

涙があふれ嗚咽を抑えることができなくなったのです。

 

20100722 Hiroshima Peace Memorial Park 4478.jpg

 

かつてこの場所に倒れ込んだ多くの人々の悲しみが

私の身体をとおして浮かび上がってきたかのように

自分の意志に関係なく沸き起こる制御のきかない現象に

私たちは足早にその場所を後にするのでした。

 

原爆ドームを背に演説するオバマ大統領の眼差しには

71年前の惨劇が浮かび上がっていたことでしょう。

その真摯な演説を聞きながら、

リーダーとなる人の素養がいかに大切かということを感じ

 

また、被爆者である91歳の坪井直(すなお)さんの

痛み苦しみ葛藤を乗り越えた人だけが見せる天真爛漫な笑顔と

大統領に語りかけた

・・・アメリカではなく人類の過ちであった。未来に向かって頑張りましょう・・・

 

という言葉に人間の尊い姿を見るのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年05月31日 up date

その60 「茶杓削り」

20150517_1127562016年3月27日

 

 

茶道の世界の扉を開いたのは、

まだ若き高校生の時。

 

自宅の応接間を茶室に改装したのを機に、

一番上の姉が近しいものに茶道を教え始めたのです。

 

私立の女子高に通っていた私は、

友人数名と学校帰りに

興味本位でお稽古をはじめました。

 

正座もままならず、

しびれたと言っては笑い

マジメな顔をしてるといっては笑い

お茶が苦いと言っては笑い

 

大したこともないことに

おかしくて仕方がない私たちにとって

その時間は美味しい和菓子がいただける

楽しい時間のひとつでしかありませんでした。20160206_134310

 

 

 

まだその世界の奥深さも

全く理解しないままに・・・。

 

 

月日は流れ、やがて茶道は

私の人生になくてはならないほど

貴重なものへとなっていきます。

 

自分の人生に戸惑いを感じているとき

 

茶室という限られた空間に座っているだけで

不思議と心は静まります。

 

温かい茶碗のぬくもりを両手に感じ

フワッと湯気とともにたちのぼる茶葉の香りに満たされ

 

泡立ったお茶をソッと口に含むと

固まったからだと心が

ユックリとほぐされていくのでした。

 

 

日本文化を理解するには

茶道を始めると良いといわれるように

その世界には他国にはない

独特ともいえる日本民族の美意識が詰まっているといえるでしょう。

 

 

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茶道の世界を表現する言葉として使われる

「詫び寂び」

 

先日、尊敬する市川宗文先生にその意味を教えていただきました。

 

侘びとは、粗末な中に美を見出すこと

寂びとは、時を経てかもし出す美のこと

 

日本人ならでは価値観ですね。

すべてを悟りきったからこそ到達できる境地ともいえるでしょう。

 

 

まだまだ未熟ですが、

これからも茶の湯をとおして

たくさんのことを学ばせていただきたいと思っています。

 

 

今回わたしは初めて茶杓削りを体験させていただきました。

 

 

20160402_140654  初めて作った茶杓です。

 

「言祝ぎ(ことほぎ)」と銘をつけました。

 

 

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左が先生が準備して下さった竹です。この状態から削りだしていきます。

右は私が削った茶杓、中央にあるのは茶杓をおさめる竹筒です。

 

小刀で少しずつ少しずつ整えていくのですが、

乾燥しきった竹はとても固く

手を切りそうで思うように削ることができません。

 

自然と意識は集中し、

手元のみを見詰めて

ひたすら削ることに没頭していきます。

 

自分で体験したことで

その奥深さをあらためて実感することになるのでした。

 

竹を削りだしただけの茶杓に驚くほどの値が付けられているのを見て

驚かれる方も多いことでしょう。

 

時代の数寄者たちが自らの手で削りだした茶杓には

その方の美意識だけでなく、

生き方そのものまでが表れているのです。

 

また所持してきた歴々を拝見することで

 

上手に表現できませんが、

宗教的ともいえる茶道の世界に命を懸け

真剣に取り組んできた先人たちの思いを知ることができるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年04月12日 up date

その46「花を飾るということ 5 “桃山時代・投げ入れ”」

2015年6月12日

 

桃山時代 ~投げ入れ~

千利休画像(長谷川等伯筆)

 

“千利休”が

“侘び”の世界である茶の湯に取り入れたのは、

投げ入れ」という実に簡素な花の姿でした。

投げ入れの花は、

身分を取り去ることから始まる「侘茶」の世界において

もっともふさわしいものであると同時に、

“美”というものの定義に新しい価値観を提示することになります。

 

千利休(1522~1591)・・・『一点の花を確立』

 

茶室という小さな空間は、

自らの内面と向き合う場でもありました。

にじり口から身を低くして席入りし、

スッと視線を上げた先に飛び込んでくる一輪の椿。

人はその瞬間、

張り詰めた緊張感と装飾を超えた“真の美”を発見したことでしょう。

 

「数奇門書」椿と水仙の抛入花

 

 

 

 

 

 

 

一輪の花のみで

すべてのことを表現しきったといえる利休の代表的「投げ入れ」の形です。

さらに、千利休の花にまつわる逸話を紹介しておきましょう。

 

✤ 竹筒の花入「園城寺(おんじょうじ)」

竹一重切花入・銘「園城寺」(東京国立博物館蔵)

               

草花の運搬のために用いられていた竹筒を、

席の花入として応用したのは、

利休の師である

紹鴎(じょうおう)でした。

 

1590年、秀吉の小田原出陣に同行した利休は、

自ら韮山の竹を切り、

その頂に輪を残して窓を開けた花入を作ります。

正面にある雪われの二筋を

園城寺の割れ鐘にみたて名づけられたこの花入は、

単なる竹筒を

完成度の高い造形作品として昇華させることとなり、

後世の竹花入れの基本的スタイルとなりました。

 

現在、上野の国立博物館に収蔵されているこの花入れを見ると、

想像よりもガッシリと太く、

利休が斧で切り出す際の力強さを感じることができるでしょう。

 

✤ 紅梅の花

 

ある時、天下人秀吉は、

大きな金の鉢と一枝の紅梅を利休に差出し

「花仕れ」と命じます。

果たして居士はどの様な花を生けたのでしょうか。

彼は大きな鉢に水をたたえた後、

清らかに咲いた梅の花を水中へと掻き落とすという

独創的な発想で花を生け、

秀吉を驚嘆させるのでした。

 

✤ 古銅鶴首花入「鶴一声(つるのひとこえ)」

胡銅鶴首花瓶・銘「鶴一声」(徳川博物館蔵)

 

この細く長い鶴首形の器は、

底に波寿文の高台がつき、

格調たかい古銅の花入として伝えられています。

利休はこの器を床に置いて

なみなみと水のみを湛え、

究極とも言える茶席の花とするのでした。

 

このように器に水だけをなみなみと張った

という記録が、利休の茶会記に6回記録されてます。

生命の源である水の命をめでることこそ、

彼の打ちたてた「投げ入れ」の美学を象徴しているのでしょう。

 

通俗的な観念にとらわれず、

次から次へと常識を打破していった千利休。

しかしながら、

彼には切腹という最期が待ち受けていたのです。

 

利休のなしえた新しい価値観の確立には、

権力に対して信念を曲げない気骨の精神が感じられ、

そうした厳しさが茶の湯や花の美学に反映されて

私たちをとりこにするのでしょう。

 

「花は野にあるように・・・」

そう茶席の花を説いた利休ですが、

自然を人間の手で表現することほど難しいことはありません。

見る人にあの自然の清らかさや抱擁力を思い起こさせ、

心に入り込む花を生けるには、

定まった生き方の美学なくしては生まれないことなのでしょう。

 

 

「投げ入れ」とは、

見向きもされない野菜の花にすぎなかった菜の花を、

茶席の花に用いた利休のように、

草”に見える花の中に“真”が隠れていることを伝える花なのです。

 

 

江戸時代 ~生け花の隆盛~

 

江戸時代にはいり、

商人の経済力の成長を背景に

“茶の湯・香道・生け花”などの芸事が民衆にまで広まっていくようになります。

「生け花」の世界では

数々の流派が誕生し、まさに隆盛の時代を迎えたといえるでしょう。

 

「池房博好 立花巻物」 鶏頭真の立花(陽明文庫蔵)

 

室町時代に起こった神へとむかう正統派の花「立花」と、

茶の湯から生まれた草庵の花「投げ入れ」は、

その伝統を踏まえた上で新たに発展していきました。

 

現代では、

たしなみのひとつとして多くの女性が「生け花」を学んでいますが、

その昔は男性の世界であったことをご存知でしょうか。

花に対してことのほか熱中していた後水尾天皇は、

寛永6年じつに33回もの「立花会」を催しています。

中でも7月に開催された「七夕大立花会」は、

僧侶である2代目池坊専好の指導・採評のもと、

49人もの出瓶でおこなわれました。

 

この会が画期的なものだった訳は、

天皇みずからの花会ながら、

身分階級を越えた人選がなされたことでした。

身分制度の根強い時代に、

己の出生に関係なく実力でのし上がる事のできる数少ない道筋に

「生け花」が台頭してきたのです。

 

公家から僧侶そして町人、

さらに日本の農村にまでも

花を生ける行為」は普及していきました。

 

男達は、

畑仕事や山への帰りに花材となる草や花木を採って集まり、

法恩講や青年団の集まりなどで花の稽古を行うのでした。

村人の手よって

お寺の本堂に立派な立花を生けこむことも、

常として行われていたようです。

 

 

やがて家元制度が生まれ

階級というシステムの発展と共に、

さらなる急速な広がりを見せた「生け花」は、

次第に女性のたしなみとして

庶民の間に浸透していくことになります。

今では考えられないほどに、

女性が社会で認められることの難しかった時代において、

生け花の世界は数少ない女性の表現の場となっていったのでした・・・。

 

 

 

※時代を追って、

祖先の花に対する扱いの歴史をみてきました。

「花を飾る」というその行為は、

祈りであり喜びであり、

時に表現でもありました。

 

常に私たち人間のそばに寄り添い

語らずして何事かを諭してくれる

その声なき草花の思いに、

これからも人は魅了され続けていくのでしょう・・・。

 

 

 

 

 

 

 

2015年06月13日 up date
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