茶道の世界の扉を開いたのは、
まだ若き高校生の時。
自宅の応接間を茶室に改装したのを機に、
一番上の姉が近しいものに茶道を教え始めたのです。
私立の女子高に通っていた私は、
友人数名と学校帰りに
興味本位でお稽古をはじめました。
正座もままならず、
しびれたと言っては笑い
マジメな顔をしてるといっては笑い
お茶が苦いと言っては笑い
大したこともないことに
おかしくて仕方がない私たちにとって
その時間は美味しい和菓子がいただける
まだその世界の奥深さも
全く理解しないままに・・・。
月日は流れ、やがて茶道は
私の人生になくてはならないほど
貴重なものへとなっていきます。
自分の人生に戸惑いを感じているとき
茶室という限られた空間に座っているだけで
不思議と心は静まります。
温かい茶碗のぬくもりを両手に感じ
フワッと湯気とともにたちのぼる茶葉の香りに満たされ
泡立ったお茶をソッと口に含むと
固まったからだと心が
ユックリとほぐされていくのでした。
日本文化を理解するには
茶道を始めると良いといわれるように
その世界には他国にはない
独特ともいえる日本民族の美意識が詰まっているといえるでしょう。
茶道の世界を表現する言葉として使われる
「詫び寂び」
先日、尊敬する市川宗文先生にその意味を教えていただきました。
侘びとは、粗末な中に美を見出すこと
寂びとは、時を経てかもし出す美のこと
日本人ならでは価値観ですね。
すべてを悟りきったからこそ到達できる境地ともいえるでしょう。
まだまだ未熟ですが、
これからも茶の湯をとおして
たくさんのことを学ばせていただきたいと思っています。
今回わたしは初めて茶杓削りを体験させていただきました。
「言祝ぎ(ことほぎ)」と銘をつけました。
左が先生が準備して下さった竹です。この状態から削りだしていきます。
右は私が削った茶杓、中央にあるのは茶杓をおさめる竹筒です。
小刀で少しずつ少しずつ整えていくのですが、
乾燥しきった竹はとても固く
手を切りそうで思うように削ることができません。
自然と意識は集中し、
手元のみを見詰めて
ひたすら削ることに没頭していきます。
自分で体験したことで
その奥深さをあらためて実感することになるのでした。
竹を削りだしただけの茶杓に驚くほどの値が付けられているのを見て
驚かれる方も多いことでしょう。
時代の数寄者たちが自らの手で削りだした茶杓には
その方の美意識だけでなく、
生き方そのものまでが表れているのです。
また所持してきた歴々を拝見することで
上手に表現できませんが、
宗教的ともいえる茶道の世界に命を懸け
真剣に取り組んできた先人たちの思いを知ることができるのです。