雪月花
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ブログ最終回 その100  伊豆山神社と稚児天冠

2021年8月3日

ブログ「雪月花」は、この度100回目を迎えることになりました。

ご覧頂きまして、ありがとうございます。

 

これを機会に、これよりは動画をもって 配信をさせて頂こうと考えています。
チャンネル登録をぜひお願い致します。

Youtubeチャンネル

 

ブログ「雪月花」は今回が最終回となります。どうぞご覧ください。

 

去る7月3日午前10時28分、

静岡県熱海市の伊豆山地区にある伊豆山神社の西側で、

大規模な土石流が発生しました。

 

またたくまに多くの住民の命を奪い去ったこの悲劇を知ったとき、

私の脳裏には、かつて訪れた伊豆山神社での神事が思い出されました。

 

2019年4月15日、

晴天に満開のシャクナゲの花が美しい春の光輝くこの日、

伊豆山神社では「例大祭」が執り行われました。

 

大変由緒あるこの神社は、

「伊豆」という地名の発祥地といわれており、

その創建は紀元前、第五代天皇・孝昭天皇(こうしょうてんのう)の時代まで遡ります。

 

奈良吉野山で修業をしたことで有名な山岳修験道の始祖・役小角(えんのおづぬ)は、

伊豆へ配流された折に島を抜け出しこの伊豆山で修行したといわれ、

 

また、境内には 源頼朝と政子が逢瀬を重ねたという腰掛石が残されています。

 

祭りでは、神職によるお祓いなどの神事の後、
可愛らしい子供たちによって神社に古くから伝わる「神女舞」と「実朝の舞」が奉納され、

その後、厄年の男衆が担ぐ御鳳輦神輿が参道の837石段を勇壮に駆け下りていきます。

 

目の前で静かに進行する人々の往来をながめながら

私が何よりも感心したのは、人々の装束の素晴らしさでしした。

 

まるで平安の時代へと遡ったような錯覚に見舞われるほどに

清らかで美しく整えられた衣姿に身を包み

誰もが生き生きと、この神事に携わる一員であることの喜びに溢れているのを感じたのです。

 

特に巫女姿の母親に手を引かれて歩く子供たちの姿は、何とも愛らしく

心に深く刻まれています。

 

お母様の手に預けられていた稚児天冠は

神事の時に女の子が被る冠。

大変素敵な親子さんにお願いし、写真におさめさせて頂きました。

 

それから2年の月日が経った2021年4月、

私の手元へと古びた木箱とともに稚児天冠が届きました。

 

輝いていたであろう金銅には緑青がふき、いたるところに欠けもみられます。

でもなぜかその姿は凛と美しく、大変心惹かれるものでした。

 

(パソコンの操作がどうしてもできません。室礼の画像は、教室案内の作品紹介をご覧ください)

 

今回の惨事に思いを馳せ、長きに渡り神事に際し幼き子の頭に飾られてきたであろう天冠を慰霊の心をもって室礼ます。大きな災害は、私たちの心から消え去ることは無いでしょう。

それでも私たちは、前を向いて生きていかなければならないのです。

 

毎日手を合わせ、

あの神事に集った人々の笑顔が再びよみがえることを祈っています。

 

 

2021年08月03日 up date

ブログ更新 その92  京都「杉本家」花会

2019年8月4日

 

梅雨明けと同時に猛烈な暑さに見舞われた日本列島。

皆さま、体調大丈夫でしょうか?

 

外に出た途端に砂漠の地に降り立ったような、そんな気持になりますね。

 

こんな時は、無理をしないでスローペースで過ごすのが一番です。

どうぞ、無事に夏を乗り越えてください。

 

久しぶりのブログです。

6月そして7月に伺いました二つの会は、じつに趣深く日本の美の神髄を感じさせるものでした。

 

祇園会「杉本家」花会

重要文化財 杉本家住宅

 

京都の祇園祭は、

山鉾巡業とともに旧家の秘蔵品を飾る屏風祭りも見どころの一つといえるでしょう。

かつて『奈良屋』の屋号で呉服商を営んでいた杉本家は、

端正な伝統的意匠の建造物として国の重要文化財に指定され

現在は(財)奈良屋記念杉本家保存会が維持運営にあたっています。

 

 

2019年6月1日・2日の二日間、

花人である川瀬敏郎先生は、この住宅において花会を催されました。

 

朝一番に到着し幔幕のはられた屋敷に入ると、

空気は一変し時代を一気にさか戻ったように感じます。

 

表戸口から内玄関へ、さらに中庭を経て座敷に上がると

各部屋には、江戸時代のお軸や扇面を描いた華やかな屏風、

明の獅子香炉に支那簾さらに斑竹の文房棚や画帖など

 

国物、そして唐物の一級の品々がしつらえられていました。

 

それらを背景として生け込まれた先生の花は、

まるで昔からそこにあったかのようにしっとりと寄り添い飾られ

植物たちも、ここにいることがとても嬉しそう。

 

部屋を巡るごとに私の心はドンドン満たされ、いっぱいになっていきます。

 

 

当日は、初夏とは名ばかりの大変暑い京都でしたが、

前栽・中庭・坪庭・露地庭と300坪といわれる敷地に造作されたお庭によって

室内には心地よい風が通り抜けます。

 

窓から差し込む陽射しは、庇によってやわらぎ程よい明るさ。

 

これを日本家屋の妙というのでしょう。

 

ただただ、全てに感動するばかりでした。

 

 

 

2019年08月04日 up date

ブログ更新 その73「奈良春日大社の山藤」

2017年6月12日

 

畠山記念館での 香会の準備に追われ

ブログの更新が思うようにきずにおりましたが、

無事に会も終了いたしましたので

また少しずつお伝えしたかったことを更新していきたいと思います。

 

 

 

2017年4月

 

DSC_0463

桜の花びらも風に舞い散り、

柔らかい若葉が光にまぶしいころ

生徒の皆様と早起きをして藤のお花で有名な「足利フラワーパーク」へと出かけました。

 

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細く長くしだれるフジの花、

甘い香りにミツバチたちが集まります。

 

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房咲きのポッテリと妖艶な楊貴妃桜がまだ満開で、

それぞれに美しさを競うよう

 

 

DSC_0497 (1)

一番有名な大藤は残念ながら満開とはいきませんでしたが、

樹齢を重ねたその太くたくましい樹のあらわな姿に思わず息をのみます。

 

DSC_0428

一本の樹から千平米を超えるまでに仕立てられた藤棚の下に潜り込むと

何だかとてつもない

四方に手を伸ばす蔓に抱き込まれるかのよう。

 

 

 

 

昔から大好きだった藤の花。

優雅で雅な植物と思っていたその印象を

一変させられることになったのは

奈良の都で出会った山藤でした。

 

今でも印象深く思い出すその旅のお話を

これから少しいたしましょう。

 

 春日大社「砂ずりの藤」

 

朱塗りのたたずまいが実に美しい奈良県「春日大社」には

「砂ずりの藤」と呼ばれる有名な藤棚があります。

 

奈良2

 

その名の通り1メートルあまりにも房が垂れさがり

地面の砂に達するといわれる雅な姿は

良く写真で紹介されていますのでご存知の方も多いことでしょう。

 

憧れていたその姿をぜひこの目で見たいもの、

という長年の思いがようやくかなったこの日、

私は胸を弾ませながら春日大社の門をくぐりました。

 

 

 

しかし、目の前に現れたその藤は

アラアラ、どうしたの?

と思うほどに房が短かく

 

奈良3 小雨模様の春日大社

 

うかがえば、房の長さは年により違うとのこと。

 

そういうものだったのね~と、

 

期待が大きかっただけに落胆も大きかったのですが、

 

藤花天冠の愛らしい巫女さんの姿に少し慰められ

お参りをして帰途につきます。

 

 

行きとは違う苔むした石灯籠が並ぶ東参道の方へと足を運ぶと

 

今まで感じた清らかな空気は一変し

力強い大地から放たれる土の香りに包まれます。

 

ふと頭上を見上げると

野性の山藤が太い幹をよじらせ、大蛇のように樹に巻きつき花をつけているではありませんか。

奈良 「二千基の石灯籠が並ぶ東参道」

 

 

春日大社の御本殿より東側に広がる春日山は、

古代より神聖なる御山としてあがめられてきました。

 

奈良時代の初め、

タケミカヅチノミコトが白い鹿に乗って御蓋山(みかさやま)に降臨したことにより、

この原生林の麓に春日大社の社殿が造営されたのです。

 

神山とされた春日山は、

古来より狩猟や伐採が厳しく禁止されてきました。

そのため現在でも太古の原始林そのままに

野手あふれる植物たちのたくましい姿を見ることができるのです。

 

苔むした古い石灯籠の並ぶ参道は何とも独特の雰囲気に包まれており

小雨に濡れる苔の強い香りのなか、ゆっくりと歩を進めていると

かつて栄華を誇った藤原一族の歴史が蘇ってきます。

 

奈良4

 

グッーと身をよじらせながら蔓を伸ばし

誇らしげに花垂れる春日の山藤。

 

千年も樹齢を重ねると伝えられるその姿は、

私の抱いていた楚々と花咲く藤の印象を一変させるものでした。

 

しかしながら、

生命力あふれる植物の強靭ともいえるたくましさに感動を覚えたのも事実で

 

美しいだけではない藤という植物の真の姿に、

私はようやく触れ会えたのかもしれません。

 

 

 

その後、今だ小雨降る中

私たちは飛鳥巡りへとむかいます。

 

 

 

日本最古の寺として有名な「飛鳥寺」

奈良飛鳥寺6

渡来人の面影が感じられるアーモンドアイの眼差しをもつ飛鳥大仏。

寺が火災にあったことから寺の規模も小さく

大仏様のお姿が大変痛々しく感じられます。

 

 

 

 

古代の石窟「石舞台古墳」

奈良飛鳥9 (2)

 

 

 

 

そして「高松塚古墳」、

東西南北を守護する四神像の壁画で有名な「キトラ古墳」へ。

ズーと興奮しどうしの飛鳥巡りでしたが

 

どこを巡っても水の引かれた田んぼのあぜ道には小さな野草が咲き

小川のせせらぎが心地よく綺麗な空気につつまれます。

 

初めて訪れる飛鳥の地で

なんとも感心したことは景観が保たれているということでした。

 

屈指の観光地でありながら車中から見渡すかぎり

ひとつも高い建築物が見当たりません。

 

これは飛鳥の人々が

この素晴らしい景観を守るため自主的になさっているということを運転手さんに聞き

なんと意識の高い人々なのかと深く感動したのです。

 

のどかな田園風景は心を和ませ、

古き時代へとタイムスリップしたかのような気持ちにさせてくれることでしょう。

 

 

かつて都が存在し、高貴な人々が住んでいた飛鳥で出会った白藤は、

決して誇示することのない人柄を現すかのように

このうえなく清らかで優しい香りを放っておりました・・・。

 

 

奈良白藤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年06月13日 up date

その67「滋賀県・渡岸寺の十一面観音と招福楼」

2016年9月13日

 

ひとつ前のブログの続きとなります

琵琶湖畔の旅のお話しをさせていただきます。

 

石山寺の秘仏御開扉にともない

三十三年ぶりにお姿を現した如意輪観世音菩薩に

ぜひともお目にかかりたいと出かけた近江の旅。

 

夕方に東京を出発し翌日には帰宅予定の、なんとも忙しい旅路です。

 

当地で訪れたいところは数々ありましたが、

動線を考え湖北から湖南へと下る

三つの場所に目的をしぼり巡ることにしました。

 

 

昨日は19時に新幹線で米原に到着しホテルに直行。

翌朝は琵琶湖畔を少し散策し9時半に出発をしました。

 

20160911_082219 静かにそして豊かに水をたたえる琵琶湖畔

 

 

20160913_150053

 

 

最初に湖北長浜にある渡岸寺(どうがんじ)へと向かいましょう。

 

20160911_095347

 

琵琶湖周辺は平安時代より観音信仰の地として

時の貴族や権力者また女性たちがたくさん訪れました。

それぞれの寺には歴史をまとった

じつに完成度の高い観音様が祀られているのです。

 

 

 

 

渡岸寺観音堂の国宝・十一面観音菩薩立像

 

 

20160913_142622

 

湖北を代表するこの渡岸寺には、

日本で一番美しいといわれる国宝・十一面観音菩薩立像が安置されています。

 

聖武天皇の勅願により刻まれたという観音様は、

気品あふれる面差しと、

流れるように腰をわずかにひねったお姿をなさっており、

 

平安時代を代表する仏像として、

拝む者の煩悩・苦しみを取り除いてくれる優しさにあふれ

 

誰もがその崇高なお姿に魅了されることでしょう。

 

戦国時代、織田信長と浅井長政の戦火にあい、

迫り来る猛火から村人衆が土中に埋めてお守りした逸話をもつ仏像で、

埋められていた場所には碑がきざまれています。

 

 

20160911_095540

 

 

参道脇にある大きな塚をながめると

2メートル近くもある仏像を戦火から守るため

必死で土を掘り埋めた信仰熱き人々の姿が浮かび上がり

深い感慨に包まれます。

 

 

私がかつてこの寺を訪れたのは、紅葉で彩られる秋深き頃でした。

 

現在の立派な建物とは違い、

まだ簡素なお堂に祀られていた観音様のおそばには、

初老の村人がおり

聞けば持ち回りで観音様の説明に当たっているとの事。

 

彼は祖先が命がけで守った仏像をまぶしいように見つめ

 

「・・・本当に願いを叶えてくれるのですよ・・・」

 

と静かに話されました。

そのまなざしに私は胸をつかれ、

村に根ざし愛され続ける信仰の本来の姿を見たように感じ

 

その時の感動は時を経ても変わることなく心に刻まれ

再び観音様にお会いできる日を待ちわびていたのです。

 

 

 

 

無事に参拝を終え、

次に近江の街に近く八日市にある料亭「招福楼」へむかいましょう。

 

20160911_113602

 

20160911_113628

 

当地を代表とする老舖である招福楼は、

東京の丸ビルなどにも店舗を構えていますが、

 

やはりこの時代をまとった風格ある佇まいと

繊細な地の料理の素晴らしさは

訪れてしかるべきといえるでしょう。

 

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お部屋から望む石庭です。

 

縁側から差し込む光の明暗に

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」の一節が浮かび上がります。

 

日本建築のかもしだす静かなる光の美が感じれらますね。

 

20160911_123019  20160911_120801

 

器の美しさに思わずパチリとお写真を。

 

乾山写し萩草花流水文の取り皿と

瓢型・切り子硝子の冷酒徳利

 

息子さん娘さんともにお店を継ぐべく修行中とのこと。

このような建築物を維持なさるのは大変なことでしょうが

ぜひ、後世までに残していただきたいものですね。

女将さんとしばしお話しをし、

またの来訪をお約束して店を後にします。

 

20160911_132113 門前にて記念のお写真

 

お腹もいっぱいになりました。

それではこれから大津の石山寺へとむかいましょう。

 

御寺での詳細はひとつ前のブログに書かせていただきましたので

どうぞご覧くださいね。

 

 

すべての行程を無事に終え、

あとは石山寺から京都へとむかい、新幹線にて帰郷です。

 

忙しい旅でしたが、大変思い出深いものになりました。

 

この夏は原稿書きに明け暮れ、

どこへも旅行できなかったので

ようやく心がスーと晴れ、身体も軽くリセットされたよう。

短くてもやはり旅は良いものですね。

 

日常から離れた土地の風に吹かれることの大切さを実感した次第です。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆さまどうぞ機会がありましたら、近江の旅へお越しください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年09月13日 up date

その66「滋賀県・石山寺観月会と秘仏御開扉」

2016年9月12日

 

ようやく涼しい風も吹きはじめ

秋の訪れを感じるようになりました。

皆さま、お元気に夏を過ごされましたでしょうか。

 

今年の十五夜は9月15日とのこと。

満月の美しい月明りに包まれるのも、もうじきですね。

 

十年ほど前になるでしょうか。

私は滋賀県近江の旅へと出かけ、大変印象深いお月見の夜をすごしてきました。

今回は、そんなお話をさせていただきましょう。

 

20160823_174724 台風一過の空

 

 

~石山寺の観月会~

 

まだまだ初秋とは名ばかりの九月十二日、十六夜(いざよい)の良き日、

私たちは数日前に発生した台風の雲の流れを気にしつつ、

滋賀県大津の石山寺でおこなわれる観月会へとむかいました。

 

早朝に東京を出発し新幹線で米原へ到着、

近江を代表する料亭「招福楼」にて秋の会席料理をいただきます。

シットリとした老舗のたたずまいと素材を生かしたお料理そして器の美しさ、

京都に近いこの地は日本の東西の中間点として古来より権力者の集う場所であっただけに、

洗練されたもてなしを受けることができました。

 

食後、琵琶湖から流れ出す水郷のひとつ“豊年橋”から、

織田信長も楽しんだと伝えられる水郷巡りへと出かけましょう。

 

いまから四百年前、

豊臣秀次が宮中の舟遊びに似せてはじめたこの優雅な船下りは、

自生する葦の群生を保護するために今でも船頭さんによる手こぎ船にこだわっています。

キーコーキーコーという棹の音と共に、

飛来した野鳥や薄紫のホテイアオイの花が目を楽しませてくれることでしょう。

 

ベェネチアのゴンドラに乗ったときにも感じた

手漕ぎならではの水との一体感がなんとも心地よく

心と身体が和んでゆくのを感じます。

かれこれ一時間半あまりの水郷巡りを終えると

少しずつ空が黄昏てきたようです。

それでは、そろそろ石山寺のお月見へとむかいましょうか。

 

 

琵琶湖の湖南に位置する石山寺は、

747年に聖武天皇の勅願により創建された歴史ある寺院です。

 

京の都に近く川のほとりの風光明媚な地に建てられたこの寺には、

本尊である如意輪観世音菩薩の霊験を求めて

天皇はじめ多くの貴族らが訪れました。

また、紫式部を初めとする多くの女性達に愛されたことでも有名で、

石山寺の創建と観音様の霊験を絵と詞で記述した

「石山寺縁起絵巻/七巻」(重要文化財)には数々の逸話がしるされています。

 

石山寺縁起絵巻 第7巻第31段。母を助けるため身売りした娘が嵐に遭うも、一心に石山観音を念じると、白馬が現れ娘を水際まで引き上げる場面。背景には人買いたちの断末魔の様子が見える。その後、娘は結婚して母を養い、裕福で幸せな人生を送った。

「石山寺縁起絵巻」 第七巻第三十一段。

 

母を助けるため身売りした娘が嵐に遭い

船が転覆するも一心に石山寺観音を念じると白馬が現れ娘を助けたという

 

 

近年、中秋の名月にあわせた九月の数日間、

石山寺では観月会が催されています。

 

夕刻六時に開かれた門をはいると

境内全体は葦を原料として作られた和紙の風除けに包まれたロウソクが

千五百本も並べられ優しく足元を照らしていました。

今宵の月の出は七時半との事、

しばし本堂で催されている二胡の演奏に耳を傾けながら、

本尊である“如意輪観音”の霊験を求めた女性達をふりかえってみることにしましょう。

 

紫式部 『源氏物語』

「紫式部」部分 土佐光起画 石山寺蔵

 

十一世紀初頭、

村上天皇の皇女選子内親王に、

まだ読んだことにない物語をと所望された紫式部は、

構想の願いを込めて七日の間この石山寺に参籠されました。

折しも十五夜の月明かりが琵琶湖を美しく照らし出しています。

うっとりと月明りを浴びながら満月を眺めるうち、

脳裏にある文章が浮かび上がってくるのでした。

 

 

『・・・今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく・・・』

~十五夜の美しい月を眺める光源氏が、京の都での月夜の管弦遊びを恋しく思う~

 

この一節は後に「源氏物語」の「須磨の巻」に生かされることになるのですが、 

不意のことに紙の用意がなかった紫式部は、

手近にあった大般若経の裏にその一節を書きとどめたと伝えられます。

こうして石山寺の月夜の美しさに発想を得て誕生した「源氏物語」は、

平安の宮中人を夢中にさせ、

現代にいたるまで多くの人々を魅了し続けているのです。

 

藤原道綱の母 『蜻蛉日記』

紫式部が石山寺に参籠する以前の970年7月、

「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱の母も京より石山寺に赴いています。

たいへん美しく才媛といわれた彼女ですが、

夫である藤原兼家の多くの女性関係に悩まされ続けていました。

愛の葛藤に疲れ果て観音様へ救いを求めて観音堂にこもります。

するとウトウトとした夢の中に寺の別当とおぼしき法師が現れ、

自分の右ひざにザブリと水を注ぎかけるのでした。

ハッと目覚めた彼女は、

この夢を“情念の炎を消しなさい”という観音のお告げと解釈します。

不思議と乱れた心は静まり、

十日の予定を三日に繰り上げ都へと帰り着くのでした。

 

菅原孝標の女(すがわらたかすえのむすめ) 『更級日記』

「更級日記」は、

幼いころから夢見る文学少女だった女性の

少女時代から老境に至るまでの四十年を回想して綴られた自叙伝です。

「源氏物語」に深く心酔していた彼女は、

1045年、憧れの石山寺へと詣でるのでした。

夕刻まどろんでいると夢の中に麝香を手渡す者があらわれ

早く御堂で焚くよう促します。

その後、何とも心地よく目覚めた彼女は

この夢を観音様の霊験ととらえ、

帰郷した折には祈願したことが続いて現実のこととなり非常に喜ぶのでした。

 

その他に「枕草子」を執筆した清少納言や

「和泉式部日記」の和泉式部など

おおくの女流文人が石山寺におもむき参籠を果たしたと伝えられます。

 

 

 

あ、あたりの暗さが増すと共に

ロウソクの炎のゆらめきが一層美しく感じられてきました。

もともと岩山だったこの寺は、

他にはない独特の景観をもっています。

琵琶湖から流れ下流は宇治へと続く寺院の瀬田川沿いには、

岩に木の柱を打ちつけて建てられた月見台「月見亭」がありますので、

そちらへと足を運んで輝く月の光を浴びることにしましょう。

 

毎年必ず巡りくる十五夜ですが、

今宵は紫式部はじめとする女性文人たちへと思いを馳せて、

いつもとは違う趣のお月見となりまし

 

 

 

2016年

本年は滋賀県琵琶湖の湖南に位置する

石山寺ご本尊「如意輪観世音菩薩」御開扉の年を迎えました。

 

三十三年に一度しかお会いできない秘仏ですので

どうぞ滋賀方面へとお出かけの際にはお立ち寄りください。

京都からも近くJRで15分ほどで石山駅につき

そこからタクシーまたは私鉄でほどなく寺院へと赴けることでしょう。

 

私は先週末急遽、石山寺参拝を済ませてきましたので

その様子もご報告させていただきます。

 

20160911_150309

 

石山寺の門前です。

五色の旗が飾られなんとなくワクワクと気持ちが浮き立ちますね。

さあ10年ぶりの石山寺詣。

早速、観音様にお会いしに本堂へと向かいましょう。

 

 石山寺本堂(国宝)

 

 

ご本尊である如意輪観世音菩薩は、

平安時代後期の作で約5メートルもある大きな仏様です。

薄暗い本堂に鎮座されたそのお姿は、

ふっくらとした優しい面差しながらも威厳に満ちておりました。

 

観音様の御手には五色の紐が結ばれており、

その端は参拝者の近くへとつながり

誰もが触れることができます。

 

聖武天皇はじめ多くの貴族たちが

観音様の霊験を求めまた、極楽浄土を願って

こうして同じように観音様の御紐を握られたことでしょう。

 

いつも眺めるだけしかできない観音様の御手にフッと触れたように感じられ

何ともありがたく手を合わせます。

 

 

 

それでは次に、

小高い岩山である寺院の散策へとむかいましょうか。

 

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緑多い寺院には萩の花が咲き誇り、

秋の訪れを感じさせます。

 

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日本最古といわれる美しい様式の木造多宝塔(国宝)。

 

20160911_145341  岩の上に杭を打ち建てられた月見台

 

以前訪れた時は観月会の夜でしたので

闇夜のなか蝋燭の揺れるあかりを頼りに月見台へと足を運びました。

月見台の下方に流れる瀬田川の上に大きな満月が輝いて

その月光が水面にまでゆらゆらと写しだされ

それは幻想的に感じたものです。

 

時を経てふたたび訪れることのできた幸せに感謝するとともに

坂道がこんなに辛かったかしらとも感じ、

年を重ねたことの現実も実感する旅となりました。

 

古代から祖霊信仰の霊場として栄え、

聖徳太子や最澄・空海により開山された歴史ある古寺が存在する琵琶湖畔。

 

現在寺院の数は京都を上回って日本一を誇り、

また観音菩薩像を本尊とする寺が群を抜いていることも近江霊場の特徴でしょう。

 

観音信仰は平安時代から女流文学者の信仰を集め

紫式部や清少納言をはじめ多くの女性たちの心をひきつけてきました。

 

私も文章を書く者として霊験あらたかな石山寺・如意輪観世音菩薩様に

お会いできたことを励みに、

これからも勉強を続けて行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年09月12日 up date
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