雪月花
ブログメニュー

その65「広島平和記念公園」

2016年5月27日

 

現職の米国大統領として初めて被爆地・広島を訪れたオバマ大統領。

映像に映し出されるこの歴史的瞬間をみていると

かつて訪れた日々が思い出されます。

 

20140816_102411

 

 

 

2年前の2014年8月、

私は出雲から松江そして広島へと旅をしました。

今まで仕事に明け暮れていたオットに

私がかつて訪れた日本の美しい景観を

ぜひ見てほしいと計画した初めての旅でした。

 

 

20140813_133812

 

 

 

20140813_133552

最初に訪れたのは、島根県出雲大社。

 

三重の伊勢神宮で感じた

背筋が伸びるかのようなキリっとした空気とは異なり

いつ訪れても何とも温かい気持ちに包まれる神社です。

 

60年に一度の本殿遷宮を済ませたばかりの出雲大社は

多くの人々でにぎわいを見せていました。

 

この数年来、

遷宮にまつわる行事に参加するために何度も訪れていた事もあり

良く来ましたね

と、迎えられているかのような心地よさに包まれます。

神聖なる空間に身を置くだけで幸せを感じるのはどうしてでしょう。

 

良きご縁を授けてくださった神様に

ようやくお礼をお伝えすることができました。

 

 

 

 

20140814_102035

 

次に、

米国の「ジャーナル・オブ・ ジャパニーズ・ガーデニング」に

13年連続日本一の庭園に選ばれた足立美術館へむかいます。

白砂の敷き詰められたその庭園は

後方の山々の景色も意識して端正に造作されており

ため息が出るほどに美しく

いつまで眺めていてもあきることがありません。

 

また、コレクションである横山大観のひとつひとつの絵には

感情を内へと封じ込める日本人の奥ゆかしい美意識があふれており

見るものを惹きつけます。

 

 

 

 

 

暮れて翌日、

今日は美しい城下町松江へと向かいましょう。

 

 

 

天守 (国宝) 松江城の国宝天守閣

 

キーコキーコと船頭さんの漕ぐ

松江城の堀川巡りは

目線も低く水と一体となるかのような

舟遊びの心地よさを感じさせてくれます。

 

松江のお殿様は、有名な茶人でもあった松平不昧公(ふまいこう)。

 

江戸中期、千利休の登場もあり茶の湯は隆盛を極めました。

鎌倉期より盛んに輸入された裂地は

大切な茶道具を包む袋として姿を変えていきます。

 

 『古今名物類聚(こきんめいぶつるいじょう)』とは、

不眛公によって編まれた十八冊編纂の茶道具書ですが

そのうちの2冊が「名物切の部」で、

実物の百五十種あまりの美しい裂を丁寧に貼った

“裂手鑑(きれてかがみ)”

として超一級の価値を誇っています。

 

金箔を織り込んだ金襴や緞子

縞や段、格子文様の間道

錦・印金・インド発祥の染色裂更紗

そしてビロードやモールなど

 

これら一級品の布地は、茶道具の仕覆や

お軸の表装などに使われたのです。

 

財政を湯水のように使って収集し

松江藩を困窮にさせた殿様ですが、

 

その優れた審美眼によって

どれほど日本の織物染色技術また意匠の発展が促されたことでしょう。

 

また、お茶好きのお殿様のおかげで

松江城下には多くの和菓子店があり

銘菓巡りも楽しみのひとつとなっています。

 

 

 

 

そして最後に、

私たちは広島を訪れたのです。

 

小雨模様の安芸の宮島・厳島神社は、

 

厳島神社4

 

 

20140815_154808

 

以前訪れた時とは異なり

静かにどこか寂しげにそこに佇んでおりました。

 

無事に参拝を終え市内のホテルへと戻ります。

 

当初、旅の予定はここまでとしていましたが

昨晩食事したお店で出会った広島の若者たちの楽しげな笑い声と

昨日とはうって変わった青空に

広島市内へと出かけることにします。

 

世界で初めて核爆弾が落とされた街として有名な広島は、

私にとってハードルの高い場所であり

行かなければという思いとは裏腹に

脚を運ぶことのできない地だったのです。

 

路面電車に揺られ辿り着いた広島平和記念公園は、

樹々の緑美しく、広い空間に風の流れるのが心地よい場所でした。

 

見渡すと幾度となく映像で見た建物がそこにあります。

平和の鐘、原爆供養塔

そして円形の鉄枠をさらす原爆ドーム。

広い公園を囲むように流れる川面は

キラキラと夏の日差しを受け輝いていました。

 

しかし式典が行われる原爆死者慰霊碑の広場を歩いていると

 

急に胸が締め付けられ

涙があふれ嗚咽を抑えることができなくなったのです。

 

20100722 Hiroshima Peace Memorial Park 4478.jpg

 

かつてこの場所に倒れ込んだ多くの人々の悲しみが

私の身体をとおして浮かび上がってきたかのように

自分の意志に関係なく沸き起こる制御のきかない現象に

私たちは足早にその場所を後にするのでした。

 

原爆ドームを背に演説するオバマ大統領の眼差しには

71年前の惨劇が浮かび上がっていたことでしょう。

その真摯な演説を聞きながら、

リーダーとなる人の素養がいかに大切かということを感じ

 

また、被爆者である91歳の坪井直(すなお)さんの

痛み苦しみ葛藤を乗り越えた人だけが見せる天真爛漫な笑顔と

大統領に語りかけた

・・・アメリカではなく人類の過ちであった。未来に向かって頑張りましょう・・・

 

という言葉に人間の尊い姿を見るのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年05月31日 up date

その56 「満月と紅富士」

20151228_1324522015年12月26日

 

今年も年の瀬をむかえました。

皆さまにおかれましては、

お忙しくお過ごしのことと思います。

 

暖冬のせいでしょうか

街角の椿も早、蕾をひらいて咲き競い

何となく年末という気分も薄れ

大掃除という気持ちになれなくて

困っていますが、それでも昨日はクリスマス。

 

 

今年は38年ぶりに満月と重なり、

美しい聖夜となりました。

 

私は友人ご夫妻と、山中湖の旅へと向かいます。

 

澄んだ夜空に煌々と光を放つ満月が浮かび

湖の水面のさざ波を月光が写しだす、

それは美しい夜でした。

 

また、早朝に紅富士が見られると伺い

眠い目をこすりながら6時に起き出したわたしは、

カーテンの向うに広がる静寂の世界に心を奪われます。

 

椅子を窓辺に引きずり出しガウンをまとって

ずっと眺めておりました。

 

20151227_062302

 

 

 

 

 

青い夜空に浮かぶ満月に

雪を抱いた富士は

言いようのないほどに神秘的で美しく

シーンとした静けさに包まれています。

 

20151227_065704

 

やがて少しずつ空に光が流れ込み

 

月が太陽に席を譲って朝が訪れる・・・

 

という有名な一節を目の当たりに

 

光を弱めながら彼方へと去っていく月に代わり

東から差し込む朝日が

富士の雪肌を紅色に染めてゆきます。

 

20151228185637

 

赤富士とは、夏の朝に富士の山肌が赤褐色に染まること。

紅富士とは、真冬の雪をかぶった富士の山肌が紅に染まること。

 

その違いを初めて知りました。

 

富士五湖の中で一番富士山に近いといわれる

山中湖でながめた雄大な富士の景色は、

 

これからの暮らし方や

仕事に対する姿勢を

静かに諭すかのように感じられました・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年12月29日 up date

その55「国宝 源氏物語絵巻」徳川美術館

20151229_1137582015年11月14日

 

名古屋の徳川美術館が開館八十周年をむかえ

その記念行事として、国宝「源氏物語絵巻」が全巻公開されました。

 

 

私は和装に身を包み

品川駅より新幹線に乗り込み名古屋へと向かいます。

公開初日にあわせ、

美術館敷地に名古屋城などから移築された茶室では、

美術館協賛のもと川瀬敏郎先生の花会が14・15日にわたり開催されたのです。

 

ほどなくして降りたった名古屋駅は、

再開発の活気に満ち満ち、多くの人が行きかっておりました。

 

 

紫式部が著した「源氏物語」は、

成立当初から絵画化されてきたと伝えられますが

このたび公開された絵巻は

12世紀前半に白河院・鳥羽院を中心とする宮廷サロンで

製作されたもっとも時代をまとった絵巻です。

 

20151229_113748

 

 

その修復にあたる過程も垣間見れる本展は

じつに見ごたえのある展覧会となりました。

 

上から覗き込むように描かれた構図は

秘め事を垣間見るようにも感じられます。

 

そして何よりも心に残ったのは

光源氏が誕生したわが子を抱く「柏木」の巻でした。

 

源氏物語絵巻/柏木

 

 

絵の奥に赤子を抱く光源氏、手前には年の離れた正妻・女三宮がおりますが

彼女は14歳であどけない少女のまま、

父親のような源氏の元に嫁ぎました。

が、やがて忍んできた“柏木(かしわぎ)”という青年との密通により

不義の子を身ごもってしまいます。

やがてその秘密は源氏の知るところとなり、

罪の重さに耐えかねた柏木の死や、

自らの苦悩から男の子を出産した後に若くして出家の道を選ぶのでした。

こうして不幸にも不義の子を

自分の子供として抱くことになった源氏の君ですが、

この事実はかつて己が犯した罪を再現するものだったのです。

 

源氏は若き頃、

実父の后である“藤壺の君”に恋した末、

不義の子を産ませてしまいます。

彼の脳裏には、

わが子と疑わず赤子を抱き上げ喜ぶ父の顔が浮かんできたことでしょう。

罪の報いをこうしたかたちで現実に受け、

彼の心は複雑に揺れ動くのでした。

 

何とも臨場感あふれるこの場面ですが、

その修復前のエックス線画像から

赤子の両手が源氏の頬へと伸ばされていたことを知ります。

 

何も知らずに手を伸ばすその無邪気さが

悲しくもあり切なくもあり

私は一瞬にして絵巻のなかへと引き込まれていきます。

 

また、川瀬先生の曇りのない花を拝見した後だったからでしょうか。

 

本物の発するオーラの強さに感じ入り

本物に触れる大切さを改めて思うのでした。

 

日帰りの短い名古屋でのひとときでしたが

心満たされた一日を過ごした余韻にひたりながら帰途へと着いたのです。

 

 

徳川美術館・蓬左文庫開館八十周年記念特別行事

     

・「国宝 源氏物語絵巻展」 

・川瀬敏郎「花会」 餘芳軒・山ノ茶屋・心空庵にて

12世紀に製作されたといわれる国宝源氏物語絵巻を修復、全巻展示。

園内茶室にて美術館協賛のもと川瀬先生の花会が執り行われました。

 

 

 

2015年12月29日 up date

その45 「軽井沢・南ヶ丘倶楽部 春の茶会」

2015年5月17日

 

軽井沢でのお茶会の誘いを受けたとき

その距離の遠さに迷っておりました。     20150517_112756

でも思い切って参加してみれば、

東京から新幹線で1時間あまりというあまりの近さに

心配は全く必要なかった

と 楽しかった思い出ばかりが頭に浮かんできます。

 

20150517_103718

 

 

この写真は、 一席めの茶室である

広間を囲む廊下の様子。

上質な木のぬくもりと

和紙と畳で構成された日本建築の粋(すい)ともいえる空間が

じつに心地よいですね。

 

お茶会に伺うと、

記憶に遠くなった素晴らしい空間に出会えることがあり

それもまた楽しみのひとつといえるでしょう。

 

今回の会場は軽井沢の駅から車で5分ほどの

「南ヶ丘倶楽部」

五月の軽井沢は、まさに新緑の最中

どこをながめても芽吹いた若葉が目にやさしく

爽やかにふりそそぐ光に包まれて

そよそよと緑色の風が吹き抜けていきます。

 

当地の建築は中村晶生先生の設計なるもの。

数寄屋建築の第一人者である先生は、

広間と立礼の茶室のほか

豊臣秀吉が築いた大阪城下の屋敷に

千利休が設けたといわれる

幻の”深三畳台目の茶室”(三畳敷に点前畳のついた間取り)を

僅かな資料から推測しこの地に復元されました。

 

20150517_113556

 

大阪夏の陣にて消失してしまったこの茶室は、

中村先生の四十年に及ぶ研究をへて

三八四年ぶりに”大庵(だいあん)”と銘名され

軽井沢の地に姿をあらわしたのです。

 

 

茶室とは、実に不思議な空間です。

 

 

とくに草庵といわれる小さな茶室に赴くと

自然と呼吸は整えられ

内なる精神へと心が研ぎ澄まされていくのを感じます。

 

木材や竹・藁そして和紙に土壁、

イグサで編まれた畳など

自然の素朴な素材で構成され

薄暗い必要最低限の採光で設えられた草庵は、

ときに女性の子宮にもたとえられ

居住まる人々の心を

原点へと回帰させるかのような 不思議な力をもっているのです。

 

 

のようなお話しですが、

いつの日か自分の茶室を持てる幸運に恵まれたならば、

三畳ほどの小さな空間に

ソッと座り静かに瞑想していたいもの

 

と 思い描いては楽しんでいるのです ♥♥

 

 

 

2015年05月21日 up date

その26 「永富家のあやめ会」

2014年 6月14日

 

20140614_155246

見事に咲き競う色とりどりのあやめ

ここは新幹線の姫路駅から車で30分ほどの位置にある

庄屋建築「永富家」の庭園です。

千坪近い敷地には、

入母屋造りの主屋に

白塀の美しい瓦葺きの長屋門、

そして籾納屋や味噌蔵などのさまざまな蔵があり

国の重要文化財にも指定されている

それは素晴らしい江戸後期建築です。

20140614_121705

今日は、いたるところに幔幕が張られ

とても華やいだ雰囲気に包まれていますね。

当地で開催される”あやめ会”

美術評論家の林屋晴三さん

楽家15代・楽吉左衛門さん

金閣寺でも茶会を依頼されたスイスの

数寄者ニーゼル・フィリップさんなど

そうそうたる人物が席主をつとめられました。

関西の主だった名門婦人がほとんど集うという

この年一回の茶会に、

今年は花人川瀬敏郎先生席主にと推挙され

わたしもそのご縁で伺うことができたのです。

下見に訪れたとき、

三つ紋付の正装でお迎えくださった永富美香子令夫人のお姿と、

隅々にまで心の行き届いた室礼に、先生は覚悟を決めたと言われます。

昔の空気感を見事なまでに維持しているこの邸宅で

先生は「室町の花 」を再現されました。

広い土間や磨きこまれた廊下には

時代籠にさりげない蛍袋などの野の花を、

濃茶席には明時代の曼陀羅華型(まんだらげ/朝鮮朝顔のこと)の古銅の器に

清らかに咲く昼顔を、

昼顔 (2)小書院の床には太閤秀吉が自ら断切り

”早馬”と命名した竹花入れに

まだ小さな蕾を抱いた馬の鈴草(ウマノスズクサ)を,

Aristolochia debilis 3.JPG

また、上座敷・中座敷には

室町時代の公家や僧侶など花の名手が優劣を競ったという「花会」を再現し、

いくつもの花が並べるように飾られていました。

室町の花とはいったいどのようなものか、ここで少しご紹介しましょう。

1380年6月9日 

この日、二条良基邸にて記録にのこる日本始めての

「花会」が催されました。

この会は、花の名手とされる公卿と数名の僧侶を加えた24名が、

12人ずつに分かれて花を生け、

その優劣を競うというものでした。

このように花を立てるという新しい芸術が注目されていくなか、

仏事に花を 楽しむ「七夕法楽(たなばたほうらく)の花会」が、

公家・ 将軍家において盛んに開催されるようになっていきます。

そして次第に、一年をとおして時節の花を殿中に飾ることが

恒例 となっていくのでした

文阿弥花伝書(石田家本)

 将軍家の所蔵する唐物(からもの/渡来品の意)を

 管理し花を生けるのは、

 京都の六角堂頂法寺の僧 である池坊専慶や

 文阿弥(もんあみ)などの花の名手たちに任されました。        

 やがて、進化していく桃山文化の華麗な建築に合わせるかのように、

 「立花」の様式はより堂々とした装飾性を強めていきます。

       「花を生ける」という文化は、

  中国における文人のたしなみであった挿花と

  宗教的意味合いのある供え花を基として、

  日本独特の精神的な美を表す場を得たことで発展

  権力者の庇護のもと

この室町の時代に根を下ろしたといえるでしょう。

花の世界とは、もともと茶の湯と同様に男の領域だったのですね。

楚々とした野の花を生ける時にはわからないでしょうが、

立花を学ぶと

花器にしつらえる込藁(こみわら)をギュッと束ね

ノコで樹を切り出して枝をはらい、刺し口をナタとがらせるなど

力がなければできない作業がいくつもあり

女性の入り込めない世界であることに気付かされます。

今回の茶会は、中世に誕生した茶の湯という日本の芸能を

永富家という時代をタイムスリップしたかのような場をもって荘厳した

二度とない素晴らしい会となりました。

そして何よりも圧巻だったのは、

一段高くしつらえられた上段の間の中央に

どうどうと生けられた”立花”でした。

立花とは人のためではなく神仏へと意識を投じて生けられた花

といったら良いでしょうか。

遠近古今など森羅万象の成り立ちを閉じ込め

まるで宇宙がそこに成り立っているかのような花ゆえ

誰もが気軽に手を出してはいけない領域といえるでしょう。

もっと上手に説明できれば良いのですが、

花を生けるというさりげない行為に

壮大な世界感をもって挑んだ日本の先人たちがいた

という事実を是非知っていただきたいと思います。

鮮やかな朱塗りの平卓

桃山時代の月型の遊鐶(ゆうかん)のついた

古銅薄端立花瓶(うすばたりっかへい)に生けられた立花は、

人が立ち入ることを拒むかのように

じっと私たちを見つめ返すのでした。

20140614_151914

 

2014年06月16日 up date
↑このページの一番上へ