雪月花
ブログメニュー

ブログ更新 その81「桜物語1 ~西行桜~」

2018年2月

 

奈良県吉野山

4月初旬から末にかけ下千本から奥千本へと山桜が開花してゆく

 

 

春の日を淡くいろどる桜の花は、

見るものの心をなごませ

この国に生まれた幸せを感じさせてくれる存在といえるでしょう。

 

日本の野山には、もともと野生種である山桜が自生していました。

 

桜の名所といわれる奈良県吉野山には、

平安時代の歌人“西行法師”がむすんだ小さな庵があります。

 

吉野山はその昔、

“役小角(えんのおづぬ)”が桜の樹に蔵王権現をきざんだことにより、

桜がご神木としてあがめられるようになりました。

その後、修験道の聖地となった吉野には桜の苗木をたずさえて参詣する人が多くなり、

現在のような麗しい景色へと移り変わっていったのです。

 

役行者像(五流尊瀧院)

 

役小角(えんのおづぬ) 飛鳥時代の呪術者・山伏の元祖

修験道(山岳修行)の開祖とされ鬼神を操る霊力をもつと伝わる

 

 

平安時代末の乱世に生まれ、

生きることに無常観をつのらせていった西行法師は

23歳の若さで出家の道を選びます。

そしてどの宗派にも属さず、

山里の庵にひとり住み孤独の中で心の安らぎを求めるのでした。

 

吉野山最奥にある金峰神社近くの小さな西行庵

 

春になると山々を優しく染める山桜は

西行にとってただ美しいだけのものではありませんでした。

咲き誇りそしてハラハラと散りゆくその姿に、

みずからの心情を託しじつに多くの歌を詠んだのです。

 

「花に染む 心のいかで のこりけむ 

                 捨て果ててきと 思ふわが身に」

“現世での執着を捨て去ったと思うわが身なのに

なぜこれほどまでに桜の花に心を奪われるのでしょうか”

 

「ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば

                 散る別れこそ 悲しかりけれ」

“ずっと眺めていたからでしょうか。情がうつってしまったようです。

散りゆく桜の姿が悲しくてなりません”

 

決まり事にとらわれず

自分の弱さや戸惑う心を素直に詠んだ西行法師の和歌のかたちは、

俗語を用いてもなお気品をそこなわず独特の抒情感を生みだし

当時の歌壇中心人物らに大きな影響をあたえることになります。

 

鞍馬、高野山、伊勢など心のおもむくまま諸国を巡った西行は、

1190年2月16日73歳でこの世を去りましたが、

終焉の地もやはり修験道の開祖といわれる役小角が開いた大阪河内の弘川寺でした。

 

空海そして行基も修行したといわれるこの寺の裏山にむすんだ小さな庵で、病に伏し亡くなるのです。

 

~和歌を一首詠むのは、仏像を一体彫るのと同義~

 

と語ったことからわかるように、

歌作りは仏道修行の一環でもあったのでしょう。

 

また、西行は没する数十年前にこのような和歌を残していました。

 

「願はくは 花に下にて 春死なん

                 そのきさらぎの 望月のころ」

“願いが叶うものならば満開の桜の下で死にたいものです。

お釈迦様が入滅されたという如月の望月の頃に(2月15日)”

 

その願いどおり2月16日の桜の盛りに終焉を迎えたことで、

西行の生きざまは人々にさらなる感動を与えることになります。

誰にも邪魔されず心ゆくまでながめた桜の姿は、

人生の様々な場面と重なって見えたことでしょう。

これより桜は植物という枠を超え、

日本人の死生観にまで入りこむ特別な存在となっていくのです。

 

 

 

2018年2月9日 up date
雪月花一覧へ戻る
↑このページの一番上へ