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ブログ更新 その82「桜物語2 ~松尾芭蕉~」

後世にいたり

“松尾芭蕉”を漂白の旅へといざなったのも

西行法師のそうした生涯でした。

 

俳句の師にあまんじている己に危惧感をつのらせた松尾芭蕉は、

自らの内面を尊敬する西行のような高みにまで引き上げることを祈願し

1684年、大和から吉野・尾張へと旅立ちます。

 

秋の日、吉野山へとたどりついた芭蕉の脳裏には、

花の姿は見えずとも香りほのかに柔らかく

そして静かに咲きほこる桜の花が浮かび上がってきたことでしょう。

 

西行の草庵を見詰め

残光のように漂う偉人の気配を感じながら、

生涯を旅と歌に捧げた西行に対する憧憬をつのらせたのかもしれません。

 

松尾芭蕉像(葛飾北斎画)

 

 

この旅で「野ざらし紀行」を記した芭蕉は

その後、西行没後500年を機に

1689年、東北から北陸をめぐる巡礼の旅へ旅立ちます。

人生50年といわれた江戸時代、

40代後半を迎え病気がちだったにもかかわらず

住まいであった芭蕉庵を売り払っていどんだ俳諧の旅は、

じつに多くの名句を生み出し「奥の細道」として編纂されました。

 

「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の後」岩手県平泉

「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」山形県立石寺

「五月雨(さみだれ)を あつめて早し 最上川」山形県大石田町

『荒海や 佐渡によこたふ 天河(あまのがわ)」新潟県出雲崎

『奥の細道』より

 

Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715).jpg

「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良森川許六作)

 

その後も旅への執着衰えることはなく挑み続けた芭蕉でしたが、

次第に病に伏すことが多くなり

 

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

 

の句を最後に1694年静かに息を引きとるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

2018年2月9日 up date
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