雪月花
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その34 「草枕 2 ”菖蒲と藤袴と菊の花”」

2014年10月10日

 

日本の香り草枕

 

このようにイグサを代表とする自然の草花には、

心を穏やかにするだけでなく

香りの成分で不調を癒してくれる力があるのですね。

芳香を持つ植物を枕とした日本の歴史には、

次のような草花も登場しますのでご紹介しましょう。

 

「菖蒲」「藤袴」「菊の花」

 

菖蒲枕

 

菖蒲には、

血行促進や健胃作用などの薬効があり

古代中国では仙薬とされてきました。

 

Illustration Acorus calamus0.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奈良平安時代、日本は盛んに中国の風習を取り入れていましたが

伝来した五節句のひとつ端午の節句には、

この菖蒲を用いて薬玉を飾ったり軒に葺いたりまた、

薬酒として飲むなどしていました。

さらに香り高い菖蒲の葉を

15~20センチほどに切り束ねて枕にした”菖蒲枕”は、

室町の武家社会においてショウブが”尚武”に通じるところから

家督を継ぐ男子の出世を願って、

その葉を枕の下に敷いて寝るという形に変化していきます。

菖蒲には、自律神経を安定させ安眠目覚めを良くする効能

があるといわれますので不眠にお悩みの方はどうぞお試し下さい。

 

 

藤袴枕

 

今年も神無月(10月)をむかえ

秋が深まりつつありますが、

私が今もっとも心惹かれる秋の草花の香りに

藤袴”という植物があります。

秋の七草のひとつにも数えられているこの草には、

桜と同じクマリンという成分が含まれており、

何とも哀愁漂うどこか懐かしいような芳香をもっているのです。

 

フジバカマ

 

 

平安時代、

藤袴は上品で趣ある風流な香り草としてとして愛され

『源氏物語』にも登場しています。

 

「・・・薫君の身体の芳香に競争心を抱いた匂宮は、

自ら調合した薫物を衣に焚き染めることを朝夕の仕事にしまた、

一般の人が好まれる心地よい花の香りでなく

老いを忘れるという言い伝えの菊や枯れ果てていく藤袴、

地味な印象の吾亦紅(ワレモコウ)などを

すっかり霜枯れてしまうまで捨てずにおき、

その侘びた香りを愛する風流人を気取っているのでした。・・・」

 

~源氏物語「匂宮」より~

 

光源氏亡き後の物語に登場するプレイボーイの貴公子”匂宮”は、

不思議な体臭を具えて生まれたライバル”薫君”をうらやましく思い、

ことのほか香りに競争心を燃やします。

草花は乾燥することで水分が抜け香りがさらに強り広がりますが、

そうした侘びた草花の香りにひたり

大人ぶった粋人をきどっているところが面白い場面ですね。

 

藤袴には、解熱・鎮静・利尿作用があり、

平安時代の姫君たちは髪を洗ったあとの香り付けに用いたり

枕の詰めものにも利用してその芳香を楽しみました。

河原などに自生する原種は、

現在絶滅の危機にさらされていますが、

園芸店に改良種がでまわっていますので機会がありましたら

どうぞ藤袴何とも雅で温かい香りを聞いてみて下さい。

 

 

菊枕

 

秋の花 “菊”は

ヨモギに似た清涼感あふれる日本を代表するお花です。

重陽の節句」とは五節句のひとつで、

菊の盛りである九月九日に

菊花を飾り、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲みかわすなど、

長寿延命を願ってさまざまな行事がおこなわれました。

また、前日の夕刻から菊の花に綿を被せ翌朝、

露でしっとり濡れた綿で肌をぬぐうという

被綿(きせわた)”もそのひとつの行事で、

菊花の香りの染み込んだ朝露とともに

人々の老いをぬぐい去るという意味合いがあったのでしょう。

同様に菊の花をほぐして乾かし枕に詰めた「菊枕」にも、

菊の香りに精神を感じ

長寿の願いとともに作られてきたという歴史があります。

最後に、ある女性により贈られた切ない菊枕のお話がありま

すのでご紹介しましょう。

 

~杉田久女の菊枕~

 

大正から昭和の初期に活躍した女流歌人”杉田久女”は、

高浜虚子に師事し「ホトトギス」の同人のひとりでした。

大変に美しく頭の良い彼女は、

俳句の世界に高い理想を持ち

女流歌人をリードするように才能を開花させていきます。

が、人並みはずれたその情熱は人々を圧倒させ、

身勝手とも捉えかねない行動となってしまうのでした。

 

度重なるそうした行いの結果、

次第にうとまれ孤立してしまいます。

追い詰められた彼女の心は、

沈むばかりかますます激しさを増し、

尊敬する師である高浜虚子へとむけられるのでした。

しかしそれは、悲しいまでに一途な手紙を毎日のように送り続けるなどの

病的なものとなり、ついには破門されてしまうのでした。

激しいショックと失意のうちに久女の精神は混乱を極め、

精神病院での暮らしを余儀なくされてしまいます。

 

そして1946年、

復活の機会も無いまま56歳という若さで

心の通うことのなった夫に看取られ亡くなるのでした。

 

十七文字の句作の世界に没頭し、

その性格から数々の誤解を受けてしまった杉田久女。

まだまだ封建的な風潮の根強い時代に生きてしまった不幸が

彼女の苦しみを増長させてしまったのかもしれません。

しかし、彼女の俳句の中には、

じつに細やかな女性を感じさせるのもが多々あります。

その中に長寿の願いを込めて高浜虚子に贈った

菊枕をつくる様子を表現した十句が残されていますのでご紹介いたします。

 

菊摘むや 群れ伏す花を もたげつつ

 

摘み移る 日かげあまねし 菊畠

 

菊干すや 何時まで褪せぬ 花の色

 

日当たりて うす紫の 菊筵

 

縁の日の ふたたび嬉し 菊日和

 

門辺より 咲き伏す菊の 小家かな

 

愛しょうす 東りの詩あり 菊枕

 

ちなみ縫う 陶淵明の 菊枕

 

白妙の 菊の枕を ぬひ上げし

 

ぬひ上げて 菊の枕の かをるなり

 

 

自分で育てた菊畑の花を摘み取り

嬉々として楽しそうに部屋中に広げ乾かす久女の様子が目に浮かびます。

菊の花は大変に乾きにくく

いつまでもその色は褪せなかったことでしょう。

 

酒はよく 百のうれいを祓い 菊はよく くずるる齢を制す”

 

中国の歌人・陶淵明の詩の一節から、

尊敬する師の長寿を願い送られた白絹の菊枕

生きていく術を身につけていなかった彼女にとり、

俳句の世界はのめりこむほどに遠ざかる

悲しいものであったのかもしれません・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年10月13日 up date
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