雪月花
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その19 「桜色の花結び」

2014年3月20日

 

寒かった冬もようやく遠ざかり、暖かい日が続くようになりました。

さあ、桜の季節ですね。

やさしい春の陽射しとともに日本列島を南から北へと埋め尽くしていく桜の花。

今年はそんな輝く季節の訪れを、

美しい桜色の花結びに託してお届けします。

 

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左から「総角結び(あげまきむすび)」、次に左右に6つの輪の「六葉結び」

そしてまた「総角結び」最後に房の上に「こま結び」をほどこし房を解いて完成です。

花結びは紐を切らずに上から順に仕上げていきますが、

今日は桜色と白の江戸打紐をそれぞれ3メートル使いました。

長い紐だけでこんなに美しいお飾りができるなんて良く考えられていますね。20140315_140043

 

じつは、私たちが日常なにげなく行っている”むすぶ”という行為には、

深い意味が含まれていることをご存知でしょうか?

今回は、ひもを結ぶ・手を結ぶ・契りを結ぶ・印を結ぶ

など多くの表現に用いられてるこの言葉に隠されている秘密を

探ってみることにしましょう。

 

宮中儀式「鎮魂祭」(ちんこんさい・みたましずめのまつり)

日本の皇室には、私たちの目に触れないたくさんの儀式があり

それらはいまだ神秘のベールに包まれているといえるでしょう。

1123日に執り行われる「新嘗祭(にいなめさい)」は、

その年に収穫された穀物に感謝を込めて神さまにお供えし、

天皇自らもはじめて口にされる宮中儀式です。

農耕民族である日本人にとって最も重要とされるこの儀式の前日、

「鎮魂祭」は赤々と焚かれる篝火の中、執り行われます。

 

宇希槽(うけふね)の儀」・・・伏せた宇気槽と呼ばれる箱の上に巫女がのり、唱えごと  を繰り返しながら鉾でその槽を10回撞く

この所作の起源は、天岩戸神話にあります。

太陽神である天照大神が岩戸にお隠れになったことで地上は暗闇となってしまいました。困った神々は賑やかな祭りをすることにします

。踊りの上手なアメノウズメノミコトは、宇希槽の上で鉾をもって撞き鳴らし肌もあらわに舞い踊ります。

そのあまりの賑やかさに岩戸をソッとあけた大神を力の強い神様がグッと表へと引き出し、再び地上に太陽の光が満ちるのでした。

この神話にある天照大神の復活にあやかり、

天皇の生命力を蘇生させるためこの儀式は行われます。

ちょうどこの時期は太陽の力が弱くなる冬至にあたり、

活力をふたたび高めるという目的があるのでしょう。

たらいを伏せたような槽の上で舞うアメノウズメノミコト

 

糸結び」・・・神祇官人が糸を10回結び箱に納めます

古来より”結ぶ”という行為はたいへん神聖な行いで、

魂をモノに密着させると信じられていました。

糸を結ぶことにより新たに誕生した魂をしっかりつなぎ止める、

という意味があるのです。

 

魂振(みたまふり)の儀」・・・女官蔵人が天皇の衣を納めた箱の蓋を開き10回振動させる

天皇の形代としての御衣をゆすることで不安定な魂を覚醒ししっかりと定着させます。

「鎮魂祭」は、このような流れで執り行われるとても謎の多い儀式ですが、

これらは天照大神の子孫としての皇室に継承されてきた

物部氏由来の死者も蘇るといわれるほどの秘術と伝えられているのです。

 

※鎮魂とは、一般に死者の霊をなぐさめる意味に使われますが、

もともとは生きている人の魂を身体に鎮める儀式につかわれる言葉でした。

この大切な祭祀に結ぶという行いが含まれていることに

大変興味がわくことでしょう。

祭祀は寒さの中2時間近くの正座を余儀なくされるため、

鎮魂祭が近づくと天皇は意識して正座の練習をなさりいどまれるということです。

こうした事実を改めて見てみると、

日本の皇室とは儀式を忠実に継承し行うために存在しているともいえるでしょう。

 

ここで、結ぶという事の意味をもう少し深く探ってみましょう。

古代から人は、草や木の皮をよった紐で縄を作り、

結び目を施して狩りや生活の道具に利用してきました。

文字のなかった時代には、紐の色や太さ、結び目の位置や結び方が、

数を表し意思を伝える手段でもあったのです。

 

インカ帝国のキープ(結縄・けつじょう

王や役人はキープに、住民の数や穀物の種類生産量さらに

裁判の結果までを記しました。

文字のなかった時代、結びは記録する手段として重要な役割を担っていたのです

 

 

次に万葉集にある有間皇子(ありまのみこ)の和歌をみてみましょう。

岩代の 浜松が枝を 引き結び

真幸(まさき)くあらば また還り見む

(岩代の浜松の枝を結んでいきましょう。

もしも願いがかなったならばこの枝を再び見ることができるでしょう)

枝と枝をヒモで結びつけることは

旅の安全や命の無事を祈るまじないのひとつでした。

孝徳天皇の皇子である有間皇子は、権力争いに巻き込まれた末、

罠にはめられ18才という若さで命を落とします。

囚われの身となり紀伊へと送られる皇子は、

その道筋で松の枝を引き寄せて結びつけ再び戻れることを祈ったのでしょう。

現在熊野古道を行くと、この悲劇の皇子を忍び「結び松の碑」が建てられています。

 

また、仏教が伝来すると仏前を飾る複雑な結び方が伝わり、

美しい結びはやがて平安時代の貴族の衣装や御簾などの調度品に

飾られるようになっていくのでした。

 

仏教装飾の華鬘(けまん)

 

 

僧侶の袈裟に飾られる修多羅結び(しゅたらむすび)は、

大切なお経が散らばってしまわないように結びにしっかり閉じ込めるといわれます。

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そして鎌倉になり武士の台頭する時代になると、

紐結びは武具に多用されるようになります。

無防備な鎧の背には総角結び(あげまき)の「人型」が飾られ、

矢が入ることを避けて命を守る魔除け・護符とされました。

 

さらに千利休の登場する室町時代になると、

茶道の世界で結びは鍵の役割を果たすようになります。

抹茶を入れる壺”茶入”には仕覆(しふく)という布袋が仕立てられますが、

口を閉じる紐には秘密の結びがほどこされました。

当時、茶室は武士の密談する場所でもあり閉ざされた空間での毒殺を避けるため、

解けば二度と結べないような結びが考案されたのです。

やがて世の中が平安となると、

季節の花々や虫などを再現した華やかな結び文化が花開きます。

茶入の春の桜結び    春6

 

 

最後に、ひとつ本をご紹介しましょう。

江戸時代、武家社会では様々な礼法が重要視されました。

足利尊氏の厚遇を得た伊勢貞丈(いせさだたけ)が著した

包結記(ほうけつき)」

には、進物を紙で包む作法や装飾のための結び方が記されており

結びを解読するバイブルとして大変有名な書物です。

近年、淡交社より復刻版が発行されていますので

興味がおありになる方はぜひご覧下さい。

原本と現代語訳の2冊組になっており

当時を知る資料としても大変楽しい本だと思います。

 

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