雪月花
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ブログ更新その79 「松迎えの風習」

2017年11月17日

 

11月も半ばを過ぎ、

今年もあとひと月ばかりとなりました。

12月にはいると何かと慌ただしく感じられることでしょう。

 

新年に欠かせない植物「松」。

日本人がこの植物に特別の思いを抱くのは

何故なのか探ってみることにしましょう。

 

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松迎えの風習       

 

新しい年の幕開けは実にすがすがしく、

誰もが心新たな気持ちになることでしょう。

 

町を歩けば綺麗に清められた家々の玄関に常盤木の松が飾られ、

今年一年の豊作と家族の幸せを願う気持ちが伝わってきます。

 

慶事に欠かせない植物『松竹梅』の柱といえる松は、

強く清涼なる芳香とともに

凛として気高いオーラを発する特別な植物といえるでしょう。

 

 

  『歳寒三友』図 13世紀中国

 

歳寒三友(さいかんのさんゆう)

 

「歳寒三友」であらわされる松竹梅とは、

宋代の文人に好まれた画題のひとつで、

厳しい状況でも節度を守り清廉潔白に

そして豊かに生きるという文人の理想を現しています。

 

極寒にも色あせない松、

しなやかにしなる竹、

百花にさきがけ寒中に蕾ほころぶ梅の花。

 

松竹梅という植物に託された「歳寒三友」とは、

孔子の「論語」にある教えから生まれました。

 

 

~益者三友・損者三友~

 

・・・ためになる友には三通り、ためにならない友にも三通りある・・・

 

自分がどう思われようとも直言をしてくれる友、

心に誠がある友、

物事を深く知っている友、

これらの友人は自分を成長させてくれる人物である故

さらに親交をあたためると良いであろう。

 

反対に人に良く思われることを第一とする友、

人当たりは良いが本心ではない友、

口だけ達者で美辞麗句を述べるだけの友、

これらの友人は自分のためにならず・・・

 

厳しい状況の時にこそ大切にすべき友の姿を説いた「歳寒三友」の思想は、

平安時代に日本へと伝わり

江戸期には民衆にまで広く浸透していきました。

 

やがて教えをあらわす植物として描かれた松竹梅は、

めでたさの象徴となり

正月や婚礼などの慶事になくてはならないものとして

絵画・染め物・楽曲など多くの分野に取り入れられていくことになります。

 

 

松迎えの風習

 

正月に飾る松を山に取りに行く行事を

「松迎え」といいます。

 

 

その昔は12月13日におこなわれ、

この日ばかりは神聖な山に入って樹を切ることが許されていました。

 

新年に訪れるという歳神様は、

一年の豊作と家族の幸せをもたらしてくださる

ありがたい神様です。

 

その歳神様の降臨する依代として飾られるのようになったのが門松で、

家の戸口に松を飾るという行いの歴史は古く、

平安時代末にはすでに始まり

鎌倉時代になると松と竹をあわせた

立派な門松が作られるようになっていきす。

 

 

松という名称は

「祀る」・「神々が降りてくるのを待つ」を

語源とするという説がありますが、

その威風堂々とした風格あふれる存在感は

他の植物にはない特別なものといえるでしょう。

 

仏教が伝来する以前から日本人は、

自然の中に神は存在すると信じてきました。

 

四季豊かな日本列島に育まれた自然は、

私たちに大きな恵みをもたらしてくれます。

 

が、時として激しく荒れ狂い

恐ろしい厄災を引き起こすことも少なくありません。

 

故に古代人が何か事あるたびに、

その力の偉大さを感じそこに神の姿を見出したのも理解できることでしょう。

 

 

本来、神とは姿をもたず又、

ひとところに定着するものではないと考えられてきました。

 

天より降臨した神霊は、

鎮座する巨岩や樹齢を重ねた樹木など

様々な物体である依代を媒体として宿るのです。

 

老松の風格溢れる幹肌、

グッと力強く伸びる枝振り、

冬でも枯れず青々とした葉を茂らす生命力は、

じつに神秘的であり時に霊的であるとも感じられたことでしょう。

 

こうして”松”は

植物の中でも特別な存在として神聖視されてきたのです。

 

 

【影向の松(ようごうのまつ)】

 

 Wikipediaより

 

奈良県春日大社の一の鳥居をくぐった右参道脇に、

枯死した黒松の切り株が祀られています。

 

この松こそ藤原氏の氏神である春日大明神が

翁に姿を変え降臨したと伝えられる「影向の松」なのです。

 

春日大明神の霊験が記された『春日権現霊験記』1309年には、

翁に姿を変えた神が

「万歳楽(まんざいらく)」を舞ったと記されています。

 

この「万歳楽」とは

唐の時代の賢王が国を治めるとき、

どこからともなく鳳凰が飛来し

「賢王万歳」とさえずった、

という逸話から創作された舞で、

才知と徳をあわせもつ立派な君主を称えるおめでたい楽曲として、

現在でも即位大礼の儀などの折に

鳥兜をかぶった演者により奉納されるで舞楽です。

 

 

桧で作られる能舞台正面の鏡板に、

立派な老松が描かれているのをご存知のことでしょう。

 

この松は春日の「影向の松」をあらわしています。

 

もともと能は

野外の大木のもとで行われるものでした。 

 

 

が、時代とともに舞台は室内へと取り込まれ現代の様式へと完成されていきました。

 

能舞台の鏡板に松を描いた最初の人物は豊臣秀吉だったと伝えれます。

 

大変能が好きだった秀吉は、

隠居城として築いた桃山城の能舞台に

影向の松を描いて自ら舞い

そしてこの城で波乱万丈の最期を遂げるのです。

 

 

亡霊や生霊が登場し

「この世とあの世を行き来する芸能」

ともいわれる能は、

神の依代となった老松のもとで演じることで、

神秘的な大自然に抱かれ生きる

小さな人間に思いを馳せる、

日本独特の文化といえるでしょう。

 

 

2017年11月17日 up date

ブログ更新 その77「押型印香~和香餅(わこうべい)~」

2017年9月

 

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押型印香「和香餅」です。

それぞれの文様は古い干菓子の木型より写し取りました。

職人さんの技が際立つ、何とも趣あふれるデザインですね。

 

上よりザクロ・蓮・橘?でしょうか。

 

試行錯誤を繰り返し、

どうにか綺麗に写し取ることができました。

焚くのがもったいないような気分です。

 

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~印香~ 

 

半生状の薫物「練香」に対し「印香」とは、

良く乾燥させた薫物をさします。

粉末状の香料を練り合わせて板状にした後に

梅や桜などに型抜きして乾燥させたもので、

色付けされたものもあり目で見ても楽しいお香といえるでしょう。

 

練香そして印香ともに熱灰で空焚き(そらだき)することを基本とするお香です。

 

中国の香りの古典書『香乗(こうじょう)』1641年の一節に

「黒香餅(くろこうべい)」「黄香餅(おうこうべい)」という香名が登場しますが、

この香餅こそ現在販売されている印香の起源といえるでしょう。

 

日本の記述に初めてこの名が登場するのは、

明との交流が盛んだった琉球王国でした。

中国で作られたものか琉球で制作されたものかは判明していませんが、

琉球より江戸城へと献上された目録にこの香餅の名が記されており、

その期間は1644年から200年に渡り献上され続けます。

 

明の文人にことのほか愛されたという香餅は、

日本の将軍にとって大変珍しく貴重なものだったといえるでしょう。

 

印香は練香にくらべ香りの含みはやや浅くなりますが、

姿形に変化があり楽しいお香といえるでしょう。

 

 

~和香餅(わこうべい)~

 

それでは自ら香料を調合し、

オリジナルの印香「和香餅」を制作してみましょう。

白檀や桂皮など天然の素材だけで練り上げたお香は、

優しく心地よい芳香を放ちます。

 

通常の印香は1センチ角が基本です。

今回のように大きなものは割ってお使いください。

 

金沢の金箔で化粧をほどこして華やかに仕上げました。  

どうぞ贈答用などにも喜ばれることでしょう。

 

『布香包み』

貴重な香木を包み保管するための香包み

 

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料紙などの美しい和紙で制作される香包みを、

丸紋八曜菊の有職文様裂を用いて制作しました。

裏面には軸の表装などに用いられる和紙を使っています。

 

 

 

 

さらにこれらは、

お料理の型抜きをもちいて可愛らしい印香もつくりましょう。

桜の花びらは五弁集めることで一輪のお花になりますね。

 

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金の雲たなびく富士山のうえには三日月さん、

銀杏に瓢、コーンタイプのお香も作りましょう。

 

 

 

 

 

 

2017年10月07日 up date

ブログ更新 その76「芙蓉の香莚 ~香と室礼~③」

2017年6月28日    「芙蓉の香莚 ~香と室礼~③」

 

 

~芙蓉の間~ 和室 点心席

 

『蝶芙蓉』掛け軸狩野探幽

 

切支丹花十字紋・四季花鳥圖香箪笥 

 

正倉院の香料

「黒漆螺鈿装飾春日卓・切支丹花十字紋香箪笥・正倉院の香料」

 

「長崎サント・ドミンゴ教会の花十字紋瓦」 サント・ドミンゴ教会跡資料館より

 

サント・ドミンゴ教会は、

スペインのドミニコ修道会の神父フンシス・デ・モラーレスによって

1604年長崎県長崎市に建てられた教会です。

時の将軍徳川家康は、当初キリスト教の信仰を黙認していましたが、

その信仰が拡大するにつれ、

1612年に禁教令そして宣教師国外追放を発令するにいたります。

この措置により徐々にキリシタン迫害は厳しいものになっていくのでした。

 

1614年になると長崎のほとんどの教会は破壊され、

さらに潜伏キリシタンの摘発、処刑がおこなわれました。

サント・ドミンゴ教会も壊され、跡地には代官屋敷が建てられます。

 

2002年、市立桜町小学校の敷地となっていたこの場所で

校舎建て替え工事による発掘調査によって教会の遺跡が発見

花十字紋が刻印された瓦も見つかったのです。

 

 

 

 

「花十字紋が外面に描かれた蒔絵香箪笥」

 

厳しい監視体制の中、信仰を捨てず隠れキリシタンとして活動していた人々は、

秘かに集会を開き観音像を聖母マリアに見立てたり

花に十字架をデザインした小さなメダイなどを信仰の対象とし

教えを守り続けたと伝えられます。

 

 マリア観音像(子供を抱く慈母観音)  wikipediaより

 

今回はこの美しい蒔絵香箪笥に、正倉院に伝えられる香料を並べ展示しました。

 

正倉院の香料  

「正倉院の宝物」とは、

奈良時代に崩御された聖武天皇の遺愛品を中心に保存されたものです。

后である光明皇后が、ご供養のため奈良の東大寺に献納されました。

日本の伝統工芸品はもとより

唐の時代の中国文化やインド・ペルシャなどの

美しくエキゾチックなデザインを今日まで伝えています。

注目したいのは、その目録の薬とともに香料が記載されているということでしょう。

 

2017-06-06 02.12.32 「白檀・カリロク・丁子・貝香・八角・匂い菖蒲根」

 

根来銘々皿に盛り付けた六種の香料は、

各人が手に取り香りを嗅いでいただきました。

 

目録「種々薬帳」にある六十種類の薬種

 

仏教伝来にともない神聖な儀式に不可欠なものとして渡来した

沈香・白檀・丁子・桂皮などのさまざまな香料は、

生きるうえでなによりも大切とされた薬と同様に管理されてきました。

なぜならば、神々がことのほか愛する香料植物には

人知の及ばない不思議な力が宿っており、

それらは人の病をも癒すと考えられていたからです。

 

天平時代の香料は、

生薬としての役割も高く大変に貴重なものだったといえるでしょう。

 

 

 

軸「絹本蝶芙蓉圖」 狩野探幽筆 

 

 『蝶芙蓉』掛け軸狩野探幽

 

江戸幕府の御用絵師の中でも、早熟の天才絵師と伝えられる狩野探幽。

江戸城や二条城・名古屋城の障壁画(襖絵)や屏風の他、

京都大徳寺にもたくさんの作品を残していますが、

中でも三十五歳の時に描いたといわれる法堂の天井画「鳴き龍」は、

手をたたくと龍が鳴くように響くとして大変有名です。

 

 

_20170619_213755  軸「絹本蝶芙蓉圖」狩野探幽筆 

 

 

じつは私はこのお軸が大変好きでして、

色合い静かなこの絵を見ると父を思い出すことができるのです。

もう他界しまして十八年たちますが、

お葬儀の時に集う人々を眺めるように

塀の上に蝶がヒラヒラと舞っていまして

八月のお盆に近い暑い盛りでしたので、不思議なことと眺めておりました。

 

蝶は魂の化身ともいわれますが、

なにか見守られているように感じたのです。

 

意図したわけではないのですが、

今回の三点の室礼にはどこかに蝶が隠れていますので、

どうぞ探して見て下さい。

 

 

このお話をしたのち、ある参加者さんから

明月軒の草蔭に黒い大きな蝶が舞っていましたよ。

きっとお父様が見に来られたのではありませんか。

 

というお話を伺い、なんだか胸が熱くなりソッと手を合わせるのでした。

 

 

最後に香会の様子をご覧いただきましょう。

 

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香道研究家の林先生、お着物がとっても素敵ですね。

今回も準備の段階から様々なご助言をいただきました。

 

香の歴史の楽しいお話、組香の丁寧なご指導そして、

貴重な香木まで拝見させていただきまして

本当に心より感謝申し上げます。

 

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ご参加いただきました皆さま

今回はお香二席ともにたくさんの方にお集まりいただきました。

 

風薫る五月を想定していましたが、

当日は初夏を思わせる暑さとなり、

皆さま倒れないかと急遽ペットボトルのお水をお配りしました。

思いがけないことがおこるのですね。

 

色々と至らぬこともあったことと思いますが、

今回の経験をもとにし、またいつの日か

心に残るような思い出深い会を開催できますよう努力してまいります。

 

 

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そしてお手伝いいただきましたスタッフの皆さま。

本当にありがとうございました。

皆さまの細かい心配り大変素晴らしかったです。

 

 

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当初は不安ばかりで眠れない日々をおくっていましたが、

こうして多くの人々に助けられ無事に会を開催できました事

 

本当に嬉しく、心より感謝と御礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

 

『香りと室礼文化研究所』 宮沢敏子

 

 

 

 

 

2017年06月28日 up date

ブログ更新 その75「芙蓉の香莚 ~香と室礼~②」

2017年6月26日  「芙蓉の香莚(こうえん) ~香と室礼~②」

 

 

~菖蒲の間~ 本席「明月軒」

 

書院のある十畳の茶室「明月軒」は、

東北二方向に畳敷きの縁側があり

懐かしいガラス戸で囲まれた風通しの良いユッタリとした空間です。

今回は、この和室で香会を行うこととしました。

 

本席『明月軒』 明月軒の室礼

 

軸「杜若圖」鈴木其一(すずききいつ)筆  

 

お軸は、江戸琳派の画家・鈴木其一の「杜若圖」大幅。

琳派は本阿弥光悦・俵屋宗達に始まり

尾形光琳・乾山の兄弟によって発展、

酒井抱一、鈴木其一へと続いていきます。

鈴木其一は抱一の一番弟子、後継者といわれた絵師で

代表作はアメリカ・メトロポリタン美術館所蔵「朝顔圖屏風」になります。

 

『朝顔図屏風』左隻

 

金の下地に蔓を伸ばして咲き乱れる

群青色の朝顔が描かれた六曲一双の屏風。

青と緑という単純な色使いは、

有名な尾形光琳「杜若圖屏風」に通づるコントラストでしょう。

 

じつは、畠山記念館の収蔵品の中に

鈴木其一の「向日葵圖」大幅軸があります。

 

現在の記念館館長である畠山尚子(ひさこ)さんの著書「伝えたい、美の記憶」には、

館を代表とする美術品の数々とともに

舅にあたる畠山即翁をはじめ

近代数寄者といわれる人々の興味深い逸話がおさめられています。

彼女自身も横浜の三渓園を作られた

益田鈍翁を大伯父にもつ家系に生まれました。

 

その文中にある明月軒の床には、

大幅の向日葵圖のお軸が掛けられています。

 

  「向日葵圖」大幅軸  鈴木其一筆

 

縦長の紙面いっぱいに力強く立ち上がり大きな花を開花させる向日葵の絵、

購入された ご主人畠山清二氏は

夏のエネルギーあふれるこの軸は茶室に合わないかもと思いつつ

そのモダンで大胆な描写に惹かれ求められたとのこと。

 

私は当初、この明月軒の床の間にどのお軸を掛けようか思案していましたが、

飾られている向日葵の掛け軸を拝見したことで

なにがしかの縁を感じ、

同じ大幅の鈴木其一「杜若圖」を飾ることにいたしました。

 

其一の洗練された自由で生き生きとした画風は

その後の近代日本画に大きな影響を与えることになっていきます。 

 

 

 2017-06-06 02.12.02 脇床「五節句・薬玉飾り」 

 

五節句「薬玉飾り」 

 

平安時代、宮中では端午の節句の行事が執り行われました。

貴族たちは冠に菖蒲をつけて出向いたといわれます。

宴が執り行われた後、帰りには帝より菖蒲の薬玉を賜りました。

 

薬玉とは、

菖蒲の葉を編んで丸く仕立てた球体の中に蓬の葉などを詰め、

五色の糸を垂らしたお飾りで、

持ち帰った屋敷では厄除けとして、

秋の菊の薬玉に掛け替えるまで

寝台の柱などに吊るしておく習わしがあったのです。

 

        

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綿を詰め白絹地で縫い上げた野菊の花に金銀色の蝶型金物で装飾

三方に取りつけた菊座カンには、

揚げ巻結びを施した撚り房を垂らし雅に仕上げました。

 

 

脇床の台の上には、

林先生の香道具を収めた乱れ箱と、

江戸時代の図譜を飾ります。

 

2017-06-06 02.11.58 「正倉院・松喰い鶴文様の乱れ箱」

 

 

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公家有職造花木版図譜『懸物圖鏡(かけものずかがみ)』

西村知備(にしむらともなり)著 江戸時代

 

 

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この古書は、文化3年(1806年)に表された公家有職造花の総木版摺り図譜で

公家社会での雅なお飾りを鮮やかな色彩の木版刷りで著したものです。

 

有職造花とは、日本のアートフラワーの原点ともいえるもので

大きな特長は薄暗い室内でも生えるように原色を用いることかもしれません。

その精神性の感じられる形態は、陰陽五行・五色に通じているといわれます。

 

雅な雰囲気漂う月々十二カ月の有職造花に、

薬玉そして訶梨勒などが紹介されている美しい図譜を

どうぞご覧ください。

 

それでは次に『芙蓉の間』の室礼を見ていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年06月27日 up date

ブログ更新 その74「芙蓉の香莚 ~香と室礼~①」

2017年6月20日  「芙蓉の香莚(こうえん) ~香と室礼~ ①」

 

 

2017年5月21日に白金の畠山記念館で開催しました

香会「芙蓉の香莚」のお写真ができましたので掲載させていただきます。

 

明月軒・軒菖蒲 「明月軒・軒菖蒲」

折枝の恋文  茶室室礼「折枝の恋文」

 

当日は五月とは思えないほどに気温が上がり、

まぶしい陽射しに包まれての一日となりました。

 

DSC_0636 「畠山記念館・正門」

DSC_0637 「若葉美しい苑内の石畳」

 

 

        

            芙蓉の香莚 

 

日時   平成二十九年五月二十一日(日)   

      ご教授  香道研究家 林煌純(はやしきすみ)先生 「組香 皐月香」  

      於・畠山記念館「明月軒」  

      主・香りと室礼文化研究所「香り花房」宮沢敏子

 

          

            会記

 

明月軒・翠庵       軒菖蒲

受付    京焼色絵仁清写し「雉香炉」          時代物

       唐草蒔絵漆塗り香台「巻き脚平卓」

       香「香木千聚・沈香」                 山田松香木店

 

本席     菖蒲の間「明月軒」  

           床  「杜若圖」大幅                 鈴木其一筆  江戸後期

           脇床  五節句「薬玉飾り」            宮沢敏子造                  

         「懸物圖鏡」公家有職造花木版図譜         西村知備著  江戸時代

 

小間     藤の間「翠庵」

           床  「藤掛松」                     宮沢敏子造

                 ※古来より松は男性、藤は女性の象徴とされ歌や絵に描かれてきました

          「折枝の恋文」木曽桧柾目三宝

                花蝶装飾花結び                宮沢敏子造

                石州紙・裾ぼかし金箔振り巻紙

                和歌          

                「よそにのみ あわれとぞみし うめの花

                       あかぬいろかは をりてなりけり」  素性法師「古今和歌集」

                  訳…今までは遠くよりなんと美しき花と眺めていたが、

                       見飽きることのないその色と香りは

                         手折りてはじめて知ることができるものでしょう。

                 

点心席    芙蓉の間

       床  「絹本蝶芙蓉圖」横幅                狩野探幽筆  江戸前期

          黒漆螺鈿装飾金具春日卓             仏器 

          切支丹花十字紋四季花鳥圖香箪笥     時代物

          正倉院の香料 (白檀・カリロク・丁子・貝香・八角・匂い菖蒲根)

          ※天平時代の香料は、薬と同様に不思議な力が宿るものとして大切に扱われておりました。

 

 

  

 

軒菖蒲  端午の五月にちなみ軒菖蒲で皆さまをお迎えしました。

 

明月軒・軒菖蒲 「明月軒」

 

2017-06-06 02.11.39 「翠庵」

 

軒菖蒲に用いる菖蒲葉は、

花を観賞する花ショウブとは別の品種になります。

根元や茎に独特の爽やかな芳香をもつこの植物は、

古来より薬用とされてきました。

 

DSC_0529 「菖蒲湯」

 

端午の節句近くになると、

お風呂に入れるための菖蒲葉が

店先に売られているのを見かけることでしょう。

ガマの穂に似た小さな花をつける匂い菖蒲は、

主に端午の節句用に生産されています。

 

ですので今回お花やさんにお願いしたところ、

もう切り尽くしてしまったとのお話でしたが、

生産者さんの尽力により

見事な菖蒲葉と蓬をご用意することができました。

 

DSC_0597 生き生きと薫り高い草の息吹に驚かされます

 

同じ時期にスクスクと葉を伸ばす蓬も大変薬効が高い植物として知られていますが

この菖蒲と蓬とを合わせて軒に葺くことで、

病がでやすい梅雨にむけて心身の穢れを祓い

邪気や厄災が家に入り込むのを封じ込めるという意味合いがあるのです。

 

 

DSC_0602 室内から眺める景色

 

私自身はじめて自ら軒菖蒲をおこないましたが、

なんとも気持ち良く、

清々しい芳香が風に乗って室内へと吹き込まれます。

 

 

 

明月軒そして翠庵は、

植物でしつらえた結界によって浄化された空間となりました。

京都の俵屋旅館などで現在でも行われている軒菖蒲ですが、

見かけることの少なくなった趣ある美しい景色に、

皆さまより感嘆の声があふれます。

 

それでは、各部屋の室礼を見ていきましょう。

今回は『藤の間』 『菖蒲の間』 『芙蓉の間』と名付け、

それぞれに季節を彩るお花にちなんだ装飾を施しました。

 

 

受付

 

2017-06-06 02.12.36 「京焼色絵仁清写し 雉香炉」

 

2017-06-06 02.12.41

石川県立美術館所蔵の

国宝・野々村仁清色絵雉香炉の写しとなる香炉に

甘さを控えた沈香のお香をたきしめお客様をお迎えです。

 

 

~藤の間~ 小間「翠庵」

 

玄関をお入りいただきましてすぐ右手に、

三畳半台目の小さな茶室「翠庵」があります。

 

小間翠庵 「藤掛松と折枝の恋文」床飾り

 

以前、著名な花人であられる川瀬敏郎さんの花会は、

ここ畠山記念館で例年行われていました。

本当の場で花を見ることの大切さを私たちに教えてくださったのです。

 

今回の会はそうした先生の教えに習い

通い続けてくださる生徒の皆様に、

ぜひ正式な場をご体験いただきたいと思う気持ちからはじまりました。

どこまでできるか判りませんが、

私が今できることを精一杯行ってみようという挑戦でもあったのです。

 

この小さな三畳半台目の茶室に、

先生は時代をまとった古胴の蓮型花器に

スクッと立ち上がる蓮を生けられました。

薄暗い空間で拝見するその花は、

シーンと限りなく静かに佇み、

まるで菩薩様が立ち現れたかのように感じたことを思い出します。

 

 

小さな茶室は昔から憧れて止まない空間でした。

 

室礼をほどこし終えて静かに座っていると

障子越しに蹲踞の水音が聞こえてきます。

 

目に映るものは樹の柱・天井、イグサの畳、土壁そして和紙の障子のみ

すべてが柔らかい光に包まれてなんと心地良いことか。

皆さまをお迎えするために朝から緊張し続けだった身体が解きほぐれ

次第に心も落ち着きを取り戻していくのでした。

 

さらに眼をつむり座っていると、

人が最後に求める世界とは、

こうした安らぎなのではないかと感じます。

 

 

スタッフの人に声を掛けられ目覚めたように現実へと戻りました。

 

私は今回、この素晴らしい空間に

平安人の繊細な恋模様をあらわしてみたいと考えました。

 

藤掛松 「藤掛松」

 

藤掛松   

藤の蔓がまるで恋人に寄り添うかのように松の枝に絡まる光景は、

松を男性・藤を女性の象徴として古来より歌に詠まれ絵に描かれてきました。

 

この度は野性の山藤を思い描き、

五葉松にからまりながら

楚々とした紫の花を垂らす藤花の光景を再現しています。

 

畳床には、

手漉石州和紙に恋の和歌をしたため

つまみ細工の蝶や布花・金物装飾で化粧をした花結びを添え

藤掛松の折枝とともに檜三宝へと飾りました。

 

 

折枝の恋文 「折枝の恋文」花蝶装花結び

 

では、折枝とはいったいどうゆうものなのかご説明しましょう。

 

 

折り枝(添え枝)   

 

電話もメールもない平安時代の人々は、

和歌をしたためた文を交わすことで自分の気持ちを伝えていました。

 

当時は、身分の高い女性ほど他人に顔を見せることはなく、

姫君につかえる乳母や女房に守られて

寝殿造りの奥深くに隠れるように暮らしていました。

ですから男性は聞こえてくる噂や、

垣間見る気配を頼りに恋心をつのらせていったのです。

源氏物語では、光源氏が女性の住まいを覗き見する描写が、

文中にいくつも登場します。

 

男性は自分の気持ちを伝えるべくまず最初に文を届けます。

公達から届けられた文は、

本人というよりもお姫様についている女房たちに渡り品定めされることになります。

和歌は巧みか、筆の流れは美しいか、

紙の種類・色・焚き染められた香の香りは高貴なものか、

などなど届けられた文を見て

うちのお姫様にふさわしいお相手かを品定めされるのです。

 

そしてこのお方ならばと許された公達は、

女房の手引きによりはじめて屋敷に入り

お姫様と契りを結ぶことができるのです。

 

 

手紙の趣向のひとつであった折枝ですが、

季節の植物を手折り恋しい女性に贈るという風習は、

世界各国で行われてきたといえるでしょう。

 

DSC_0435 紫は当時、最も高貴な色として愛されました

 

 

今回したためた和歌は、

 

『よそにのみ あわれとぞみし うめの花 

            あかぬいろかは をりてなりけり』

「古今和歌集」素性法師(そせいほうし)より

 

今までは遠くよりなんと美しき花と眺めていたが、

見飽きることのないその色と香りは

手折りて初めて知ることができるものでしょう。

 

親しい関係を結んでこそ初めて本当の素晴らしさが判るもの、

私はもっと貴方のお近くに参りたいのです。

 

と熱き恋心を伝えているのです。

 

                     DSC_0599    

 

 

          

2017年06月19日 up date
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