雪月花
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その22 「鬢付け油と伽羅の香り」

2014年 4月15日

 

改築してからもう一年がたつでしょうか。

はじめて新しい『歌舞伎座』へと出かけてきました。

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白い壁に朱色の提灯が映え、情緒タップリの夜景です。

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鳳凰祭四月 大歌舞伎」 夜五時近くからの開演

まずは、にぎやかな売店をひと巡りしましょう。

隈取りの大顔絵が描かれた箱には甘い”くるみ餅”、

その隣でギッタンバッタン

と焼かれているのは湯気立つ人形焼

お土産も楽しみの一つですね。

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ゆったりと大きめのシートの並ぶ客席は

詰め込みすぎず実に心地よい空間で、

役者さんの仕草からお顔の些細な表情まで

しっかりと見ることができます。

バリアフリーも徹底しておりお脚の悪いご年配の方々も

誰もがウキウキと楽しそう

目の前で次々に繰り広げられる大きな仕草の物語に

笑ったり、泣いたり、驚いたり、拍手をしたり

アッという間に終演の時間となりました。

今回、印象に残ったのは松本幸四郎さんが演じた

 ”髪結新三(かみゆいしんざ)”という演目

   罪人上がりの小悪党新三が、娘を誘拐してお金をせしめようとするお話です。

 

髪結いの仕事をしている新三は、

江戸時代を忠実に再現した

藍染の粋な身なりに仕事箱を携えて

舞台の上で器用に髪をなでつけます。

その仕草こそ役者の見せ所のひとつと言えるのですが

ハンサムな幸四郎さん、さすがですね。

髷(まげ)を結ぶこよりをサット抜き取り

鬢付け油をチョンチョンと手につけては髪に撫で付け

悪事を心に目算しながら、

ちょっといきがった悪の新三役を見事に演じ

オーラタップリ 本当に見入ってしまいました。

 

ここで、新三が使っていた江戸時代の鬢付け油のお話を少しいたしましょう。

 

『 伽羅の油 』

徳川家康が長い戦乱の世に終止符をつけ幕府を新たに江戸に定めると

関西を中心に栄えて上方文化は江戸に向けて流れ込んでいきました。

日本は250年にもおよぶ泰平のときをむかえて

庶民の生活も豊かになり

香りの楽しみはさらに広まっていくことになります。

江戸時代の風俗に大きな影響を与えたと思われる文化に

”浄瑠璃“と”歌舞伎”があります。

 

 

舞台で舞う華やかな芸人の化粧法は、

観客である人々にも憧れを抱かせ

「装う」ことへの新たな関心を生み出しました。

当時流行した一節に、このような文句があります。

 

薫れるは 伽羅の油か 花の露」   1656年「玉海集」より

 

“伽羅の油”とは、

極上の匂い入り鬢付け油のことで、

武士に仕える奴などが威勢を張るためにロウソクから流れ出たロウに松脂を加え、

頬ヒゲに塗ってピンとさせたことより始まります。

この油に丁子や白檀、ごま油などを配合して香り良い髪結い油が作られました。

この油は、髪型を固定するのに大変都合よく広く大衆に受け入れられて

江戸そして京都の多くに伽羅の油専門店が出現しました。

江戸時代には島田髷や丸髷など多数の髪型が誕生しており、

伊達な男女にとって無くてはならないオシャレの必需品だったといえるでしょう。

江戸の伽羅の油売り

 

伽羅の油の製法

「大白唐蝋十両、胡麻油(冬は一合五勺・夏は一合)。丁子1両、白檀一両、山梔子二匁、甘松一両、この四色の薬を油に入れ、火をゆるくして練る。二日目に蝋を削りて入れ、火を強くして、黒色になるほどに練りつむる。焦げ臭くなるとも、湯せんの時、その匂いは退く成り。良く色付けたるときあげて冷まし、竜脳二匁、麝香三匁、入れて良く混ぜ合わす。」

「女日用大全」より

 

伽羅というのは香木の中でも最上品質を誇る沈香のことで、

庶民の手の届かない憧れの対象でした。

やがて“高級なもの””素晴らしいもの”の代名詞に

この言葉がつかわれるようになっていきます。

 

鬢付け油の”伽羅の油“という名称も、

伽羅木の香りの良さと高級なイメージを重ね合わせて、

鬢付け油の商品価値を高めるためにつけられたのでしょう。

 

町人文化が花開いた江戸時代

歌舞伎座での一夜は、人情厚い人々が生き生きと暮らしていたその時代へと

タイムスリップしたかのよう

何もかも忘れてお芝居に没頭した楽しき時間となりました

 

 

 

 

 

2014年04月17日 up date

その21 「りんごの香りの瓶詰め」

2014年 4月7日

 

イギリスを旅すると片手で軽く握れるサイズの小さなりんご

クラブアップル” を目にすることでしょう。

街の果物屋さんやバスの休憩所の売店などに

きれいに並べられた 真っ赤な小さなりんご。

 

人々はお水替わりにちょうど良いサイズのこのりんごを

シャリッシャリッとかんでは喉の渇きを潤します。

私もロンドンからオックスフォード、ノーフォークへと北上する旅の途上、

揺られるバスの中で甘酸っぱいこのリンゴをかじり、

その爽やかな香りに浸りながら異国を旅している実感に浸ったものです。

 

 

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そんなりんごの季節も

春の到来とともに終わりへと近づいてきました。

今日は食べきれずに残ったりんごでアップルジェルをつくりましょう。

 

透き通った べっ甲色のジェリー とても綺麗ですね

これはザクザクと、種もすべて丸ごとカットしたりんごをゆっくり3時間ほど火にかけ

一晩かけてガーゼで越してトロリと煮たもの。

りんごのペクチンの働きでゼラチンをいれなくても自然に固まります。

ヨーグルトにかけたり、紅茶に入れたり

リンゴの香りと上品な甘さを閉じ込めたジェリーは

美しいきらめきに生まれ変わりました。

ぜひぜひ、お試し下さい。

 

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このジェルは、大好きな ”ターシャ・テューダー” さんのDVDにも

登場するレシピです。

何か事が行き詰まり、思うように進まない時

私は良くターシャのビデオを流します。

すると、不思議なことに心の曇が少しずつ少しずつ薄まり

ふたたび原点へともどれるように感じるのです。

彼女の心に響くいくつかの言葉をご紹介しましょう。

「・・・時間をかけるということは

それだけたくさんの愛情をそそぐということ・・・・」

「・・・一番のコツは、

近道を探そうとしないこと・・・」

「・・・自分の理想を貫くには

忍耐強く生きること・・・」

56歳でアメリカ・バーモントの田舎の山奥に

18世紀風の家を建てて一人暮らしを始め

見事なナチュラルガーデンをつくりあげたその生き方は、

わたしに多くのことを学ばせてくれるのです。

 

 

 

2014年04月07日 up date

その20 「高輪茶会」

2014年3月23日

 

東京に桜開花の知らせが届きました。

今日は、知人のお弟子さんの 茶名披露 のお茶会です。

 

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品川のグランドプリンス新高輪の

広大な日本庭園の中にある茶寮「恵庵」。

静かな佇まいの山門を抜けると、観音堂へと道は続きます。

 

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朱塗りの美しいこのお堂は、

奈良県生駒の長弓寺にあった三重塔から移築されたもの。

思いがけず御開帳されており、

ふっくらと丸いお顔の十一面観音様にお会いできました。

春の爽やかな風が堂内に吹き込まれ

観音様も気持ちよさそう。

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数寄屋造りの広間で、高知県のゆず酒と

季節いっぱいの懐石をいただきます。

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濃茶席の床には、

祝いの日にふさわしい『万々歳』のお軸が掛けられ

広い板床には 「瓢(ひさご)型の香合」

そして、真の花器「下蕪(しもかぶら)型の青磁壺」に生けられていたのは

姿の良い牡丹のお花。

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島根県の大根島から取り寄せたというこの見事なボタンは、

ギュッとしまった固い蕾から

紫がかった濃き紅色 をソッとのぞかせておりました。

 

柔らかい若緑の萼に包まれたお花を眺め

振袖でお点前なさるお弟子さんの初々しい姿に触れるうち

花開く前の夢や希望にあふれていた若き日々が思い出されます。

 

けっして平坦ではなく ”生きるって大変” と感じていた20代。

今でも悩みがないわけではありませんが

歳を重ねていくうちに学んだことは、

出来事にはすべて何らかの意味があるという事でしょうか。

 

そしてその苦しみは、

自分が成長する上で必要なことだったと思えるようになれたなら

それはステップを一段クリアできたという証かもしれません。

 

小石をひとつずつ積み重ねるように

学びを繰り返していくのが人生というものなのでしょう。

 

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お薄のお席には、

宝尽くし」の絵柄の四方盆に「春霞」と「」のお干菓子が。

何もかもおめでたく、

柔らかい春の陽差しのようなお茶会となりました。

最後に、いつもご一緒して頂く友人とつくばいの前でパチリ。

企業の社員カウンセラーと茶道教授という

多彩なお仕事をなさっている彼女は

いつも落ち着きある物腰で

なぜか合うだけでホッとできる大切な存在です。

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2014年03月29日 up date

その19 「桜色の花結び」

2014年3月20日

 

寒かった冬もようやく遠ざかり、暖かい日が続くようになりました。

さあ、桜の季節ですね。

やさしい春の陽射しとともに日本列島を南から北へと埋め尽くしていく桜の花。

今年はそんな輝く季節の訪れを、

美しい桜色の花結びに託してお届けします。

 

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左から「総角結び(あげまきむすび)」、次に左右に6つの輪の「六葉結び」

そしてまた「総角結び」最後に房の上に「こま結び」をほどこし房を解いて完成です。

花結びは紐を切らずに上から順に仕上げていきますが、

今日は桜色と白の江戸打紐をそれぞれ3メートル使いました。

長い紐だけでこんなに美しいお飾りができるなんて良く考えられていますね。20140315_140043

 

じつは、私たちが日常なにげなく行っている”むすぶ”という行為には、

深い意味が含まれていることをご存知でしょうか?

今回は、ひもを結ぶ・手を結ぶ・契りを結ぶ・印を結ぶ

など多くの表現に用いられてるこの言葉に隠されている秘密を

探ってみることにしましょう。

 

宮中儀式「鎮魂祭」(ちんこんさい・みたましずめのまつり)

日本の皇室には、私たちの目に触れないたくさんの儀式があり

それらはいまだ神秘のベールに包まれているといえるでしょう。

1123日に執り行われる「新嘗祭(にいなめさい)」は、

その年に収穫された穀物に感謝を込めて神さまにお供えし、

天皇自らもはじめて口にされる宮中儀式です。

農耕民族である日本人にとって最も重要とされるこの儀式の前日、

「鎮魂祭」は赤々と焚かれる篝火の中、執り行われます。

 

宇希槽(うけふね)の儀」・・・伏せた宇気槽と呼ばれる箱の上に巫女がのり、唱えごと  を繰り返しながら鉾でその槽を10回撞く

この所作の起源は、天岩戸神話にあります。

太陽神である天照大神が岩戸にお隠れになったことで地上は暗闇となってしまいました。困った神々は賑やかな祭りをすることにします

。踊りの上手なアメノウズメノミコトは、宇希槽の上で鉾をもって撞き鳴らし肌もあらわに舞い踊ります。

そのあまりの賑やかさに岩戸をソッとあけた大神を力の強い神様がグッと表へと引き出し、再び地上に太陽の光が満ちるのでした。

この神話にある天照大神の復活にあやかり、

天皇の生命力を蘇生させるためこの儀式は行われます。

ちょうどこの時期は太陽の力が弱くなる冬至にあたり、

活力をふたたび高めるという目的があるのでしょう。

たらいを伏せたような槽の上で舞うアメノウズメノミコト

 

糸結び」・・・神祇官人が糸を10回結び箱に納めます

古来より”結ぶ”という行為はたいへん神聖な行いで、

魂をモノに密着させると信じられていました。

糸を結ぶことにより新たに誕生した魂をしっかりつなぎ止める、

という意味があるのです。

 

魂振(みたまふり)の儀」・・・女官蔵人が天皇の衣を納めた箱の蓋を開き10回振動させる

天皇の形代としての御衣をゆすることで不安定な魂を覚醒ししっかりと定着させます。

「鎮魂祭」は、このような流れで執り行われるとても謎の多い儀式ですが、

これらは天照大神の子孫としての皇室に継承されてきた

物部氏由来の死者も蘇るといわれるほどの秘術と伝えられているのです。

 

※鎮魂とは、一般に死者の霊をなぐさめる意味に使われますが、

もともとは生きている人の魂を身体に鎮める儀式につかわれる言葉でした。

この大切な祭祀に結ぶという行いが含まれていることに

大変興味がわくことでしょう。

祭祀は寒さの中2時間近くの正座を余儀なくされるため、

鎮魂祭が近づくと天皇は意識して正座の練習をなさりいどまれるということです。

こうした事実を改めて見てみると、

日本の皇室とは儀式を忠実に継承し行うために存在しているともいえるでしょう。

 

ここで、結ぶという事の意味をもう少し深く探ってみましょう。

古代から人は、草や木の皮をよった紐で縄を作り、

結び目を施して狩りや生活の道具に利用してきました。

文字のなかった時代には、紐の色や太さ、結び目の位置や結び方が、

数を表し意思を伝える手段でもあったのです。

 

インカ帝国のキープ(結縄・けつじょう

王や役人はキープに、住民の数や穀物の種類生産量さらに

裁判の結果までを記しました。

文字のなかった時代、結びは記録する手段として重要な役割を担っていたのです

 

 

次に万葉集にある有間皇子(ありまのみこ)の和歌をみてみましょう。

岩代の 浜松が枝を 引き結び

真幸(まさき)くあらば また還り見む

(岩代の浜松の枝を結んでいきましょう。

もしも願いがかなったならばこの枝を再び見ることができるでしょう)

枝と枝をヒモで結びつけることは

旅の安全や命の無事を祈るまじないのひとつでした。

孝徳天皇の皇子である有間皇子は、権力争いに巻き込まれた末、

罠にはめられ18才という若さで命を落とします。

囚われの身となり紀伊へと送られる皇子は、

その道筋で松の枝を引き寄せて結びつけ再び戻れることを祈ったのでしょう。

現在熊野古道を行くと、この悲劇の皇子を忍び「結び松の碑」が建てられています。

 

また、仏教が伝来すると仏前を飾る複雑な結び方が伝わり、

美しい結びはやがて平安時代の貴族の衣装や御簾などの調度品に

飾られるようになっていくのでした。

 

仏教装飾の華鬘(けまん)

 

 

僧侶の袈裟に飾られる修多羅結び(しゅたらむすび)は、

大切なお経が散らばってしまわないように結びにしっかり閉じ込めるといわれます。

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そして鎌倉になり武士の台頭する時代になると、

紐結びは武具に多用されるようになります。

無防備な鎧の背には総角結び(あげまき)の「人型」が飾られ、

矢が入ることを避けて命を守る魔除け・護符とされました。

 

さらに千利休の登場する室町時代になると、

茶道の世界で結びは鍵の役割を果たすようになります。

抹茶を入れる壺”茶入”には仕覆(しふく)という布袋が仕立てられますが、

口を閉じる紐には秘密の結びがほどこされました。

当時、茶室は武士の密談する場所でもあり閉ざされた空間での毒殺を避けるため、

解けば二度と結べないような結びが考案されたのです。

やがて世の中が平安となると、

季節の花々や虫などを再現した華やかな結び文化が花開きます。

茶入の春の桜結び    春6

 

 

最後に、ひとつ本をご紹介しましょう。

江戸時代、武家社会では様々な礼法が重要視されました。

足利尊氏の厚遇を得た伊勢貞丈(いせさだたけ)が著した

包結記(ほうけつき)」

には、進物を紙で包む作法や装飾のための結び方が記されており

結びを解読するバイブルとして大変有名な書物です。

近年、淡交社より復刻版が発行されていますので

興味がおありになる方はぜひご覧下さい。

原本と現代語訳の2冊組になっており

当時を知る資料としても大変楽しい本だと思います。

 

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2014年03月20日 up date

その18 「八角のホットワイン」

2014年2月11日

 

ソ連のソチで開催している冬季オリンピックが白熱していますね。

その昔、恥ずかしさも何のその

スキーのリフトで降りてきたという逸話をもつ運動音痴のわたしとしては、

どの競技を見ても人間業とは思えず

只々目が丸くなるばかり

人に秘められている能力とは素晴らしいものですね。

 

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そんな最中、東京は週末 2度もの大雪にみまわれました。

灰色の上空からフワフワと湧き出るように降ってくる雪を見つめ

人影のないシーンとした街をながめていると

知らない場所へと迷い込んだかのような不思議な感覚にとらわれます。

こんな寒い夜には

ホットワインで温まりましょう

赤ワインシナモンステックと八角を

星の形をした八角(スターアニス)は

抗インフルエンザ薬 ”タミフル” の原料として有名です。

             フェンネルにも似た独特の甘みと強い苦味・辛味を持ったこの香辛料

北京ダックや杏仁豆腐のあの風味は八角によって生み出されているのですね。

また薬効も高く

 喉の炎症を抑え、消化促進作用・強壮・抗がん作用も期待できるといわれています。

友人ご夫妻との会食でいただいたこのホットワインのおかげで

厳しい寒さにこわばった身体も

ゆっくりゆっくりほぐされていくのでした

お風邪をひきそうなんて思うときにも良いでしょう。

ぜひお試し下さい♥

 

 

 

 

 

 

 

2014年02月19日 up date
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