
2014年3月23日
東京に桜開花の知らせが届きました。
今日は、知人のお弟子さんの 茶名披露 のお茶会です。
品川のグランドプリンス新高輪の
広大な日本庭園の中にある茶寮「恵庵」。
静かな佇まいの山門を抜けると、観音堂へと道は続きます。
朱塗りの美しいこのお堂は、
奈良県生駒の長弓寺にあった三重塔から移築されたもの。
思いがけず御開帳されており、
ふっくらと丸いお顔の十一面観音様にお会いできました。
春の爽やかな風が堂内に吹き込まれ
観音様も気持ちよさそう。
数寄屋造りの広間で、高知県のゆず酒と
季節いっぱいの懐石をいただきます。
濃茶席の床には、
祝いの日にふさわしい『万々歳』のお軸が掛けられ
広い板床には 「瓢(ひさご)型の香合」
そして、真の花器「下蕪(しもかぶら)型の青磁壺」に生けられていたのは
姿の良い牡丹のお花。
島根県の大根島から取り寄せたというこの見事なボタンは、
ギュッとしまった固い蕾から
紫がかった濃き紅色 をソッとのぞかせておりました。
柔らかい若緑の萼に包まれたお花を眺め
振袖でお点前なさるお弟子さんの初々しい姿に触れるうち、
花開く前の夢や希望にあふれていた若き日々が思い出されます。
けっして平坦ではなく ”生きるって大変” と感じていた20代。
今でも悩みがないわけではありませんが
歳を重ねていくうちに学んだことは、
出来事にはすべて何らかの意味があるという事でしょうか。
そしてその苦しみは、
自分が成長する上で必要なことだったと思えるようになれたなら
それはステップを一段クリアできたという証かもしれません。
小石をひとつずつ積み重ねるように
学びを繰り返していくのが人生というものなのでしょう。
お薄のお席には、
「宝尽くし」の絵柄の四方盆に「春霞」と「飛蝶」のお干菓子が。
何もかもおめでたく、
柔らかい春の陽差しのようなお茶会となりました。
最後に、いつもご一緒して頂く友人とつくばいの前でパチリ。
企業の社員カウンセラーと茶道教授という
多彩なお仕事をなさっている彼女は
いつも落ち着きある物腰で
なぜか合うだけでホッとできる大切な存在です。
2014年3月20日
寒かった冬もようやく遠ざかり、暖かい日が続くようになりました。
さあ、桜の季節ですね。
やさしい春の陽射しとともに日本列島を南から北へと埋め尽くしていく桜の花。
今年はそんな輝く季節の訪れを、
美しい桜色の花結びに託してお届けします。
左から「総角結び(あげまきむすび)」、次に左右に6つの輪の「六葉結び」
そしてまた「総角結び」最後に房の上に「こま結び」をほどこし房を解いて完成です。
花結びは紐を切らずに上から順に仕上げていきますが、
今日は桜色と白の江戸打紐をそれぞれ3メートル使いました。
長い紐だけでこんなに美しいお飾りができるなんて良く考えられていますね。
じつは、私たちが日常なにげなく行っている”むすぶ”という行為には、
深い意味が含まれていることをご存知でしょうか?
今回は、ひもを結ぶ・手を結ぶ・契りを結ぶ・印を結ぶ
など多くの表現に用いられてるこの言葉に隠されている秘密を
探ってみることにしましょう。
宮中儀式「鎮魂祭」(ちんこんさい・みたましずめのまつり)
日本の皇室には、私たちの目に触れないたくさんの儀式があり
それらはいまだ神秘のベールに包まれているといえるでしょう。
11月23日に執り行われる「新嘗祭(にいなめさい)」は、
その年に収穫された穀物に感謝を込めて神さまにお供えし、
天皇自らもはじめて口にされる宮中儀式です。
農耕民族である日本人にとって最も重要とされるこの儀式の前日、
「鎮魂祭」は赤々と焚かれる篝火の中、執り行われます。
「宇希槽(うけふね)の儀」・・・伏せた宇気槽と呼ばれる箱の上に巫女がのり、唱えごと を繰り返しながら鉾でその槽を10回撞く
この所作の起源は、天岩戸神話にあります。
太陽神である天照大神が岩戸にお隠れになったことで地上は暗闇となってしまいました。困った神々は賑やかな祭りをすることにします
。踊りの上手なアメノウズメノミコトは、宇希槽の上で鉾をもって撞き鳴らし肌もあらわに舞い踊ります。
そのあまりの賑やかさに岩戸をソッとあけた大神を力の強い神様がグッと表へと引き出し、再び地上に太陽の光が満ちるのでした。
この神話にある天照大神の復活にあやかり、
天皇の生命力を蘇生させるためこの儀式は行われます。
ちょうどこの時期は太陽の力が弱くなる冬至にあたり、
活力をふたたび高めるという目的があるのでしょう。
たらいを伏せたような槽の上で舞うアメノウズメノミコト
「糸結び」・・・神祇官人が糸を10回結び箱に納めます
古来より”結ぶ”という行為はたいへん神聖な行いで、
魂をモノに密着させると信じられていました。
糸を結ぶことにより新たに誕生した魂をしっかりつなぎ止める、
という意味があるのです。
「魂振(みたまふり)の儀」・・・女官蔵人が天皇の衣を納めた箱の蓋を開き10回振動させる
天皇の形代としての御衣をゆすることで不安定な魂を覚醒ししっかりと定着させます。
「鎮魂祭」は、このような流れで執り行われるとても謎の多い儀式ですが、
これらは天照大神の子孫としての皇室に継承されてきた
物部氏由来の死者も蘇るといわれるほどの秘術と伝えられているのです。
※鎮魂とは、一般に死者の霊をなぐさめる意味に使われますが、
もともとは生きている人の魂を身体に鎮める儀式につかわれる言葉でした。
この大切な祭祀に結ぶという行いが含まれていることに
大変興味がわくことでしょう。
祭祀は寒さの中2時間近くの正座を余儀なくされるため、
鎮魂祭が近づくと天皇は意識して正座の練習をなさりいどまれるということです。
こうした事実を改めて見てみると、
日本の皇室とは儀式を忠実に継承し行うために存在しているともいえるでしょう。
ここで、結ぶという事の意味をもう少し深く探ってみましょう。
古代から人は、草や木の皮をよった紐で縄を作り、
結び目を施して狩りや生活の道具に利用してきました。
文字のなかった時代には、紐の色や太さ、結び目の位置や結び方が、
数を表し意思を伝える手段でもあったのです。
インカ帝国のキープ(結縄・けつじょう)
王や役人はキープに、住民の数や穀物の種類生産量さらに
裁判の結果までを記しました。
文字のなかった時代、結びは記録する手段として重要な役割を担っていたのです
次に万葉集にある有間皇子(ありまのみこ)の和歌をみてみましょう。
~岩代の 浜松が枝を 引き結び
真幸(まさき)くあらば また還り見む~
(岩代の浜松の枝を結んでいきましょう。
もしも願いがかなったならばこの枝を再び見ることができるでしょう)
枝と枝をヒモで結びつけることは
旅の安全や命の無事を祈るまじないのひとつでした。
孝徳天皇の皇子である有間皇子は、権力争いに巻き込まれた末、
罠にはめられ18才という若さで命を落とします。
囚われの身となり紀伊へと送られる皇子は、
その道筋で松の枝を引き寄せて結びつけ再び戻れることを祈ったのでしょう。
現在熊野古道を行くと、この悲劇の皇子を忍び「結び松の碑」が建てられています。
また、仏教が伝来すると仏前を飾る複雑な結び方が伝わり、
美しい結びはやがて平安時代の貴族の衣装や御簾などの調度品に
飾られるようになっていくのでした。
仏教装飾の華鬘(けまん)
僧侶の袈裟に飾られる修多羅結び(しゅたらむすび)は、
大切なお経が散らばってしまわないように結びにしっかり閉じ込めるといわれます。
そして鎌倉になり武士の台頭する時代になると、
紐結びは武具に多用されるようになります。
無防備な鎧の背には総角結び(あげまき)の「人型」が飾られ、
矢が入ることを避けて命を守る魔除け・護符とされました。
さらに千利休の登場する室町時代になると、
茶道の世界で結びは鍵の役割を果たすようになります。
抹茶を入れる壺”茶入”には仕覆(しふく)という布袋が仕立てられますが、
口を閉じる紐には秘密の結びがほどこされました。
当時、茶室は武士の密談する場所でもあり閉ざされた空間での毒殺を避けるため、
解けば二度と結べないような結びが考案されたのです。
やがて世の中が平安となると、
季節の花々や虫などを再現した華やかな結び文化が花開きます。
最後に、ひとつ本をご紹介しましょう。
江戸時代、武家社会では様々な礼法が重要視されました。
足利尊氏の厚遇を得た伊勢貞丈(いせさだたけ)が著した
「包結記(ほうけつき)」
には、進物を紙で包む作法や装飾のための結び方が記されており
結びを解読するバイブルとして大変有名な書物です。
近年、淡交社より復刻版が発行されていますので
興味がおありになる方はぜひご覧下さい。
原本と現代語訳の2冊組になっており
当時を知る資料としても大変楽しい本だと思います。
2014年2月11日
ソ連のソチで開催している冬季オリンピックが白熱していますね。
その昔、恥ずかしさも何のその
スキーのリフトで降りてきたという逸話をもつ運動音痴のわたしとしては、
どの競技を見ても人間業とは思えず
只々目が丸くなるばかり
人に秘められている能力とは素晴らしいものですね。
そんな最中、東京は週末 2度もの大雪にみまわれました。
灰色の上空からフワフワと湧き出るように降ってくる雪を見つめ
人影のないシーンとした街をながめていると
知らない場所へと迷い込んだかのような不思議な感覚にとらわれます。
こんな寒い夜には
ホットワインで温まりましょう♥
赤ワインにシナモンステックと八角を
星の形をした八角(スターアニス)は
抗インフルエンザ薬 ”タミフル” の原料として有名です。
フェンネルにも似た独特の甘みと強い苦味・辛味を持ったこの香辛料
北京ダックや杏仁豆腐のあの風味は八角によって生み出されているのですね。
また薬効も高く
喉の炎症を抑え、消化促進作用・強壮・抗がん作用も期待できるといわれています。
友人ご夫妻との会食でいただいたこのホットワインのおかげで
厳しい寒さにこわばった身体も
ゆっくりゆっくりほぐされていくのでした。
お風邪をひきそうなんて思うときにも良いでしょう。
ぜひお試し下さい♥
2014年2月10日
鼻煙壺というのをご存知でしょうか。
鼻煙香の歴史と鼻煙壺( Snuff Bottle )
15世紀末、コロンブスのアメリカ大陸発見にともない
先住民が嗜んでいた煙草の習慣はヨーロッパへと伝わり、
宮廷貴族のあいだで大きな話題となります。
当時タバコには薬効があり気付け薬としてまた
頭痛や喘息にも効くと信じられていました。
さらに同時期、ヨーロッパでペストやコレラなどの伝染病が蔓延したことにより、
疫病予防のひとつの手段としても受け入れられていったのです。
未知の新しい感覚であった煙草は人々の心をつかみ、
1641年にはスペインに煙草製造工場も建設されるようになります。
英国王のためのスナッフボックス
中国へと伝わったのは17世紀中頃で
当初はイエズス会の宣教師によって
清朝皇帝など権力者たちへ贈呈されました。
”鼻煙香”とは、
粉末状にしたタバコの葉に龍脳や麝香などの香料を調合したもので
極少量を小皿や手に受け鼻から吸い込んだり鼻孔にすりつけたりして
その芳香刺激を楽しむものです。
ヨーロッパでは、粉を入れる専用の嗅ぎ煙草入れとして
金銀や宝石などをちりばめた箱型のスナッフボックスが作られました。
しかし、湿気の強い中国では密閉することが必要となり、
薬瓶をヒントに小さな口にコルクで蓋をし
細い匙を差し込んで粉をすくい出す容器が生み出され、
玉や瑠璃・硝子・陶磁器・象牙などを素材とした精工な鼻煙壺が誕生していきます。
なかでも”内絵鼻煙壺”は、
小さな口から耳かきほどの竹製の筆を差し込んで
内側に絵を描くという精緻な技法がもちいられました。
神仏の姿や自然を謳歌する春の花々、
読み仮名が恋につながる蓮、
仙女の愛する果実桃また、
神獣鳳凰や龍
など文様には福を呼び込む縁起の良いモチーフが選ばれ
”掌の上の芸術品”として人気を博しコレクションの対象となっていきす。
やがて海外からの使節にお土産として渡された中国の鼻煙壺は、
ヨーロッパに渡り香水瓶のデザインの元となっていくのでした。
お香屋さんにいくと紫檀や黒檀・桜の木などで作られた
伝統的な円形の塗香入れを見かけることでしょう。
塗香とは、手や身体に香をすり込んで
穢れをはらい清めるためのパウダー状のお香のことを指します。
香の使用が始まったとされる酷暑の国インドでは、
油に白檀のペーストや香る材をいれた香油をつくり
頭痛や発熱のおりに額や身体に塗って熱苦を取り去り
清涼感を得る風習がありました。
なかでも白檀は非常に高い殺菌力をもち、
皮膚を浄化して毒を消す力が秘められているといわれ、
塗香の主原料にもなっています。
私は常々、好みの塗香入れを探してきましたが、
今回硝子の鼻煙壺に出会ったことで
皆さんと一緒に塗香の調合をと思い立ちました。
塗香は神仏や自分の心と向き合うときに使うもの、
故にくだけすぎずまた長く愛用できるものを求めていたのです。
インドで誕生した仏教が日本へとたどり着く道筋となった国・中国の美しい鼻煙壺を器とし、
それぞれの感性をいかしたご自分だけの塗香を調合してみましょう。
2014年1月30日
友人の結婚式に参列してきました。
彼女とは、高校時代に知り合い本当に長いお付き合いをさせて頂いています。
いつの間にか私たちも50代となり
人生の中盤を過ぎたといえるでしょう。
女性の人生は、学生時代を終えてからそれぞれの道へと大きく変化していきます。
嬉しい出来事もたくさん、大変な思いもたくさん、
誰もが一様に乗り越えていかなければなりません。
心が弱った時、そっと相手を気遣い寄り添ってくれる
そんな友人の存在はありがたいものですね。
美しい彼女の花嫁姿を見て
走馬灯のようにいろいろなことを思い出しました。
いつもまっすぐに一生懸命生きてきた彼女のために
ウエディングブーケをつくります。
いままでたくさんの方々にブーケをプレゼントしてきましたが、
エレガントだけではない
人生を乗り越えてきた強い女性にふさわしいように
モダンな色の古代薔薇をくみあわせ
成熟した大人のデザインに仕上げます。
年を重ねてからの結婚
とても素敵ですね。
♥♥♥ 心からおめでとう ♥♥♥